足元の映画館が失火し、焼かれてしまった初代通天閣

 隆盛を極めた「新世界」だったが、太平洋戦争のさ中の1943年、初代通天閣に思わぬ災厄が降り掛かった。1月16日、通天閣のすぐ足元にあった映画館「大橋座」が失火で炎上、通天閣も焼かれてしまった。

火災によって無残なまでに足元の鉄骨をさらした

 この火災で初代通天閣は足元の鉄骨がむき出しになって無残な姿に。戦争中で鉄骨資材が足りない時代でもあり、結局、翌年に解体され、300トンの鉄くずとなって政府に供出された。

地元住民の熱意で建設が進む2代目通天閣

 初代通天閣の消失から10数年、「支柱」を失った新世界では通天閣再建の動きが活発化した。住民らの努力で1956年、通天閣の再建工事が始まり、10月28日に2代目通天閣が誕生、開業した。地上103メートルのこの大鉄塔は、実は東京タワーと同じ内藤多仲が設計した。

1957年7月、2代目通天閣に広告ネオンが点灯

 翌年7月、開業以来「丸裸」だった2代目通天閣に広告ネオンが灯った。日立製作所と主塔広告賃貸借契約が結ばれたのだ。通天閣に広告ネオンが復活したのは、初代の「ライオン歯磨」以来、15年ぶりのことだった。その後も通天閣のネオンは大阪の街を演出し続け、2006年には通天閣「創業50年」に合わせ、ネオンが全面リニューアルされた。