イラクやシリアでの過激派組織「イスラム国」(IS)による非人道的な蛮行への警戒が高まるのと反比例して、シリアのアサド政権の影は薄くなったかにみえます。しかし、アサド政権もやはり、人権や人道の観点から多くの問題を指摘されています。アサド政権のこれまでを振り返り、ISとの関係を考えます。

【図解】「イスラム国」の活動領域は?(2015年1月15日現在)

アサド政権の圧政とシリア内戦

[写真]2012年6月、バッシャール・アサド大統領が議会演説で弾圧継続を言明(SANA/ロイター/アフロ)

 シリアのバッシャール・アサド大統領は、父親のハーフェズ・アサド元大統領から、2000年にその座を継承しました。1970年にクーデタで実権を握ったハーフェズは、軍、情報機関、与党バアス党の幹部をシーア派の一派アラウィー派で固め、反体制派を抑圧する強権体制を確立。1979年から米国政府によって「テロ支援国家」に指定されています。

 現在のアサド大統領は、就任直後にインターネットの自由化や汚職撲滅などの改革に着手しましたが、父の代からの古参幹部の抵抗もあり、大きな成果はあげられませんでした。さらに2003年のイラク戦争で米国との関係がさらに悪化し、国内統制を強める必要に迫られるなか、強権支配がぶり返したのです。2006年には国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチが「数千人の政治犯が収容されている」と報告しています。

[図表]シリア「アサド政権」関連年表

 そんな中、2010年末にチュニジアで始まった政治変動「アラブの春」はシリアにも波及し、2011年3月には首都ダマスカスで10万人規模のデモが発生。これに治安部隊が発砲して400名以上が死亡。これを皮切りに、各地でデモ隊と治安部隊の衝突が相次ぐなか、シリアは内戦に陥ったのです。

 その後、アサド政権は2011年5月に「全ての政治犯の釈放」を発表。しかし、英紙ガーディアンは2014年1月、1万1000人の政治犯が「組織的に」殺害されたと報じ、反体制派への抑圧が続いていると伝えました。内戦の長期化にともない、欧米諸国は人権、人道の観点から批判を強めました。特に2012年8月に内戦で化学兵器が用いられると、国連の調査では使用者が特定されなかったものの、欧米諸国は独自調査で「アサド政権によるもの」と断定。危機の打開策として「アサド退陣」を求めるようになりました。