「言論の自由」をめぐって安倍政権と民主党の間で論争となっています。今のところ両者の議論はまったくかみ合っていないのですが、そもそも言論の自由とはいったい何を意味する言葉なのでしょうか。

[写真]「私の考えを述べるのは言論の自由だ」と反論した安倍首相(写真は2015年2月撮影、ロイター/アフロ)

 論争のきっかけは、安倍首相が出演したテレビ番組において、アベノミクスの成果について否定的なVTRに対して「おかしいじゃないですか」などと発言したことです。この発言が衆議院予算委員会で指摘されると、安倍氏は「私の考えを述べるのは言論の自由だ」と反論したことで、騒ぎが大きくなりました。

 民主党の細野豪志政調会長は12日の予算委員会で「正直言って衝撃を受けた。言論の自由だという発言への思いは変わらないか」と再度この問題を正すと、安倍氏は全く問題ないとの認識を示し、細野氏に真っ向から反論しました。翌13日の記者会見でも、民主党の岡田克也代表が「安倍氏の憲法観は根本的に間違っている。総理大臣だからといって何も言えないということではないが、そこは相当考えて発言しないと」と述べ、安倍氏の発言は、民主主義の根幹に関わる重大問題であるとの認識を示しています。しかし、菅官房長官は「総理大臣の地位にある者についても、当然憲法上の言論の自由は保障されている」として、民主党側の見解を再度否定しています。

 両者の違いは、憲法における言論の自由に対する考え方にあるようです。民主党は、言論の自由というものは、絶対権力者に対して国民が交渉して勝ち取ってきたものであり、憲法は基本的に権力者を縛るものという認識を持っているようです。国家権力側は国民を弾圧する手段(警察などの行政組織)を持っていますから、国民に対して言論の自由を保障する必要があり、権力側の発言は一定程度抑制されるべきという考え方です。

 一方、安倍政権側は、首相も国民のひとりであり、当然首相にも言論の自由が保障されているという考え方を提示しています。はっきりとは示していませんが、憲法は権力者を縛るものではなく、(首相も含めて)国民に対して権利を保障し、一定の義務も課すものという認識に近いと考えられます。

 現代民主主義においては、憲法は権力者を縛るものであり、言論の自由は一般国民に対して保障されるという考え方はスタンダードなものです。しかし現実にこの考え方が適用されている国は、米国や欧州各国など、一部の先進国だけです。統治形態としては民主主義の国であっても、シンガポールやロシアなど、こうした概念を持たない国もあります。

 今回の論争をきっかけに憲法はそもそもなぜ存在するのか、言論の自由とは何のためにあるのか、もう一度考え直してみるのもよいかもしれません。

(The Capital Tribune Japan)