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 2015年6月、野球パキスタン代表監督に、25歳の色川冬馬が就任した。日本のプロ野球選手の経験はない。社会人野球の経験もなければ、甲子園出場の経験もない。その色川が指揮するパキスタン代表は、9月に台湾で開かれ、日本代表も参加するアジア最高峰の大会・アジア選手権に出場する。「トップアスリートになる以外にも、日本の野球の選択肢や可能性を広げたい」と話す若き指導者がたどってきた、「非エリート」の野球人生とはー。

野球部を辞めてメジャーリーグに挑戦

仙台市内で取材に応じる、色川冬馬パキスタン代表監督

 「日本の野球界には、イチロー選手などのトップ中のトップの選手がいて、次に毎年プロ選手として球団と契約できるトップアスリートがいる。自分はその下にいる、いわばストリートのマイナー集団。能力が違うから同じやり方をしても勝てるわけがなく、人と違うやり方で新しい道を作っていくことが自分の使命だと思う」

 宮城県聖和学園高校出身。丸刈りをしないなど、日本の「高校野球」のイメージからかけ離れた自由な環境で野球を学んだ。高校時代は甲子園予選の県大会で2回戦負け。体育大である仙台大に進学したが、厳しい上下関係を強要し新入生にボール拾いばかりをさせる野球部のスタイルに疑問を感じ、1年の冬に退部した。周囲に無謀だと言われながらも、「自分らしく、人と違うことをして歴史を作る」と息巻き、メジャーリーガーになるため単身アメリカへ渡った。

 渡米後はすぐに怪我をし、独立リーグのトライアウトにも落ち続けた。全く英語を話せず、意思疎通にも苦労した。それでも、楽しむことを第一に考え、合理的で効率的な練習を重ねるアメリカのベースボール文化に、日本にいた時とは違う心地よさを感じたという。挑戦を始めてから2年後の2011年、初めて独立リーグとプロ契約。プエルトリコ、メキシコのリーグでもプレーするなど、国際的に選手として活躍した。「アメリカンドリームという言葉があるように、そこには恐ろしいほどの夢があった」

 一方でプロとして活躍するうち、「自分はメジャーリーガーにはなれない」と才能の限界を感じるようになる。「引退して普通のサラリーマンとして生きる道を選ぶのか、それとも失敗するかもしれないが、挑戦し続けるのか」ー。自分にしか出来ないことは何なのか考え抜いて出した結論は、夢を見ない子どもたちに「自分のような生き方もあっても良い」と伝えることだった。

 日本の野球界には、決まった一本の道筋がある。高校時代に甲子園に出るか、大学野球で活躍して注目され、ドラフトで球団入り。その後実力のある選手がアメリカの大リーグに挑戦するーといったものだ。「プロ野球選手になりたい」と夢見ていた子供たちも、この道からそれると野球と自分の生活とを切り離すようになり、夢を見なくなってしまう。「日本の野球人生は、選択肢が余りに狭い。夢を見ない日本の子どもたちの選択肢を広げるために、自分が生き方の一つの選択肢を示したい」。色川は2013年現役を引退し、若くして指導者となった。