「憲法論」に終始した衆院審議

――しかし、そうした議論の前提として「集団的自衛権」はそもそも違憲論であるという見解が、憲法学者の間では多数を占めています。

 連日報道されていることもあり、有権者の中には「集団的自衛権」は何が何でも憲法違反だ、と考えている方も多いかもしれません。憲法学者にもそういう方は少なくないことも事実でしょう。

 しかし、現行憲法下における「集団的自衛権」は、一部の「右傾化」した人だけが認めるというものではありません。例えば京都大学の大石眞教授は、集団的自衛権に関して、憲法改正という手続きを踏むことが「最も賢明なやり方」だが、「憲法に明確な禁止規定がないにもかかわらず集団的自衛権を当然に否認する議論にはくみしない」として、解釈変更によって集団的自衛権を容認する余地を認めています。また、同じく京都大学の曽我部真裕教授は、「集団的自衛権を全面的に認めることはできなくとも、それがあくまで自国の利益のために行使する範囲内であれば認められる」と結論付けています。

 私も、筋を通すのであれば憲法改正を行うべきだというのはその通りだと思います。しかし、自分は、法律家としても、憲法改正されない限りは「集団的自衛権」は許されないと単純に結論付けるべき問題ではないと考えています。

――それは、どのような理由でしょうか?

 そもそも、中国をめぐって軍事的なバランスがいつ崩れるか分からないという、相当に切迫した状況が現に存在するわけです。こうした、国家の安全保障という問題に関して高度な立法の必要性がある中で、「衆参両議院の総議員の三分の二以上の賛成」、「国民投票での過半数の賛成」という非常に厳しい要件がある憲法改正が完了するまで、今のままで本当にいいのでしょうか。ましてや憲法9条の改正を争点にするとなれば、現実的に考えて容易ではありません。もちろん、文面上明らかに違憲だという立法をしてはならないことは当然ですが、明らかに憲法違反にはならないように合理的な説明を付け、その範囲で立法を行うことはできるはずです。

 立法をするにあたっては、なぜその立法を行う必要があるのか(必要性)という実質を論証した上で、その必要性に応じて行う立法が、憲法上及び法律上認められうること(許容性)も同時に備えていなければならないことは確かです。しかし、今回の安保法制に関しては、違憲論が大々的にクローズアップされてしまったことで、憲法論、すなわち許容性の議論という入り口で止まってしまいました。参議院では、必要性の議論、つまり現実として「中国の脅威」がいかなるものかという議論が深まるかがポイントになるでしょう。この議論によって、「集団的自衛権」が必要だと理解できる方も多くなると思います。