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【連載・色川冬馬の世界の野球】
2015年から、野球のパキスタン代表監督を日本人の色川冬馬さん(25)が務めている。選手としてアメリカの独立リーグやプエルトリコ、メキシコのリーグでプレーし、その後代表監督としてイラン、パキスタンを指揮した色川さん。これまでの経験を通じて世界各地の野球文化や事情を紹介するとともに、日本野球のあるべき姿を探っていく。

 アメリカまで来て、無情にも、再び私は野球から引き離された。独立リーグのトライアウト初日、張り切って臨んだ60ヤード測定で、私はハムストリング(太ももの裏側)を肉離れしたのだ。この日のために1年間アルバイトをして、トレーニングをして、誰に何と言われても自分の信念を貫いてきたつもりだった。当初は落ち込むこともあったが、どんなに考えても、騒いでも、誰も助けてくれなかった。

このまま帰るわけにはいかない

 「このまま帰るわけにはいかない」。私は日々、そんなことをつぶやくようになった。この国にいるだけで、所持金ばかりが減っていき、成果の出ない日々にいらだつこともあった。たまに友達がくれる国際メールと電話が、嬉しくてたまらなかった。でも、怪我をして、何もできない日々を送っていることだけは誰にも言えなかった。

 それから一週間。アメリカ人の明るさと、何をするにも初めての経験と失敗の連続、こんな日々にドキドキし、再び私は前向いていた。買い物、お金の使い方、そして食事など、自分だけでは何もできないことばかりだった。そして、毎回店員を困らせる私を見かねた選手が、いつも助けてくれるようにもなっていた。

「最高にcool」なジョーンズ

「最高にcool」だと思っていたジョーンズ

 当時アメリカのヒップホップ文化に憧れていた私は、身体が大きく、編み込んだ髪の毛で野球をするジョーンズを慕い、いつも彼と行動を共にしていた。彼の「ちょい悪」感は、当時の私にとって最高にcoolだった。

 ある日、彼は私に注射器を見せてきた。その中身はステロイド、日本では、絶対的にタブーなものが目の前に現れた。私は決して手を出すことはなかったが、残念ながら、当時の私の周りのアメリカ野球界では当たり前のように使われていたことも事実だ。

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