すべての人に権利として、一定の所得を給付する「ベーシックインカム」。フィンランドやオランダで、このベーシックインカムの給付実験に向けた動きがあります。これらの国でベーシックインカムを実現しようとしている人たちの多くは、ベーシックインカムの導入が「必要で望ましい」というだけではなく、導入が「不可避」だとも考えています。それはどういうことなのでしょうか。こうしたヨーロッパでの動きの背景にある事情を、日本はどれほど共有しているのかについて考えてみたいと思います。(同志社大学教授・山森亮)

【写真】フィンランドでベーシックインカム導入と“誤報” 実際の進ちょく状況は?

「賃金が支払われない労動」の軽視

[写真]フィンランド議会(国会)の外観。いまベーシックインカム給付実験に向けた動きが進められている(photo by Johannes Jansson、Wikimedia Commons)

 まず現代の社会がどのような課題を抱えているか、みてみましょう。

 一つには、私たちの社会は、賃金を支払われ、それがGDPにカウントされ、経済学者が労働だと考える仕事だけでは、回っていないということです。子どもが生まれ、すくすく育って行かないと社会は立ち行きません。家庭内の家事、育児、介護。子どもやお年寄りの居場所作りなど、地域のために汗を流す人びと。こうした人びとの労働の多くは、賃金の支払われない労働(アンペイドワーク)か、賃金が低い労働(アンダーペイドワーク)です。

 私たちの知っている経済の仕組みは、こうした労働に時間を割く利他的な人々を“罰する”傾向があります。そうした活動に従事している時間への対価がなかったり低かったりするだけではありません。社会や地域のためのアンペイドワークに時間を割くことなく、比較的高い収入を得ている人びとと比べた場合、年金、雇用保険など社会保障の面、賃貸住宅への入居から、住宅購入時のローン審査まで、生活の多くの側面で、不利益を被りがちです。

 おそらく社会運動としてのベーシックインカム要求として最大のものは、1970年代のイギリスやアメリカにおける、シングルマザーを中心とした女性たちの運動でしょう(2014年8月1日THE PAGE関連記事)

 地域や社会のための不払いで見えない活動に光を当てた彼女たちの運動への、資本主義の側の回答を代表するのは、1979年にイギリス首相となった保守党の政治家マーガレット・サッチャーの「社会などというものはない」というものでしょう。サッチャーらが押し進めた資本主義のネオリベラリズム的展開は、女性たちの運動のなかで希求された自由を求める声を簒奪(さんだつ)し、市場のもとでの自由へと水路づけていきました。

 その結果、社会に必要な「不払い労働」に人々が従事できる時間とエネルギーをどんどん奪っていきました。たとえば日本における少子化は、そうしたネオリベラリズムの帰結としてあるのだと思います。