【連載】あの日、何が流されたのか 東日本大震災と「イエ」
第一部 仙台・荒浜のひとびと(1)放火された自宅の跡地で

 今年10月9日夜、海辺にたたずむ一軒の小屋が全焼した。警察による現場検証の結果、何者かが小屋に侵入し、ストーブの中にあった灯油を撒いて放火したとみられている。犯人はいまだ、捕まっていない。
   

3千人弱が暮らしていた荒浜地区。家の土台だけが残ったままになっていたが、最近撤去工事が進んでいる(12月8日撮影)

 事件があったのは、JR仙台駅から車で約30分の、太平洋に面した宮城県仙台市若林区荒浜。約5年前の東日本大震災で186人が犠牲となり、集落ごと津波にのまれた被災地だ。震災前は約750世帯、3千人弱の人々が暮らしていた集落だが、震災後は仙台市がこの場所での居住を禁じ、今ではこの場所に住む人はいない。家の土台がところどころに残るばかりで、そこに集落の歴史と生活があったことが嘘かのように、周囲一帯はまっさらな原野に戻りつつある。

 貴田喜一さん(70)は、そんな風景に抗うかのように震災後、津波で流された自宅の跡地に小屋を建てた。貴田さんによると、貴田さんの家系は約500年前に荒浜に入り、屋号に「殿(ド)」という文字が付く、歴史ある「本家」。先祖代々、この場所で生活を営んできた。

荒浜の「深沼海岸」は毎年夏、海水浴場として賑わった。震災後は海水浴が禁止され、海岸近くには震災前にあった「深沼」のバス停のレプリカが置かれている(12月8日撮影)

 荒浜は、自然の恵みが豊かな集落だった。街を流れる貞山運河ではシジミが採れ、仙台雑煮の出汁に欠かせないハゼも釣れた。松林ではさまざまな種類のキノコが採れて、松ぼっくりは小学校のダルマストーブの燃料にもなった。漁業が盛んで、浜辺にはまれにクジラが打ち上がることもあり、昔は命を無駄にしないようにと、住民たちで肉を分け合った。サラリーマン世帯の増加で、近年はそんな半農半漁の生活形態は薄くなってきてはいたが、農作物やお惣菜をおすそ分けをしたり、住民みんなで季節ごとの地域行事に参加したりする結束力は変わらなかった。

 2011年3月11日。荒浜を、「壁のような津波」が襲った。貴田さんは車で荒浜から避難したが、集落内の荒浜小学校の屋上に避難した住民も多くいた。貴田さんは話す。

この記事が気に入ったら「いいね!」をお願いします