日本マクドナルドの株式の約5割を保有する米マクドナルドが株式の売却に向けて動き始めました。商社や投資ファンドが引受先になると見られており、もし実現すれば、米国本体の直轄体制は終了することになります。マクドナルドの歴史は、日本におけるファストフードの歴史と言い換えても過言ではありません。米国主導の体制が変われば、日本の外食産業における大きな転換点となるでしょう。

【連載】マクドナルド栄枯盛衰

高級品だったハンバーガー

日本マクドナルドの株式の約5割を保有する米マクドナルドが株式の売却に向けて動き始めた(Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

 日本マクドナルドは、実業家である藤田田氏と米マクドナルドの共同出資で1971年に設立されました。当初は第一製パンも資本参加していましたが、最終的には藤田氏とマクドナルド本社の合弁会社という形に落ち着きました。資本の論理を知り尽くしていた藤田氏は日本側の株式シェアにこだわったため、日本マクドナルドは外資系企業でありながら、日本側と米国本社の折半という形が維持されました。これが日本マクドナルドという会社を特徴付けるきっかけとなっています。

 事業をスタートした当時の日本はまだ貧しく、ファストフードとはいえハンバーガーは高級品でした。客単価も高く利益率の高いビジネスだったわけです。1980年代に入ると、同社は時代の変化に合わせ、低価格路線に舵を切るとともに、店舗数を一気に拡大させました。これによって同社は、競合のモスバーガーなどを一気に引き離し、外食産業の大手に成長します。

藤田氏の引退と凋落の始まり

原田泳幸氏の路線は最終的に同社が凋落するきっかけに(写真:中西祐介/アフロ)

 同社は2001年にジャスダックに上場しますが、米国企業の日本法人としては異例のことといってよいでしょう。上場してしまうと、外部の株主が経営に関与することになるため、本社側は上場を望まないことがほとんどです。日本マクドナルドが独自に上場することになったのも、藤田氏との合弁会社という特殊な事情があったからにほかなりません。

 しかし2000年前後から、同社の成長にブレーキがかかり始めます。創業者の藤田氏は2003年に引退し、その後株式の持ち分はファンドなどに売却されました。米本社が本格的に経営に関与することになり、白羽の矢を立てたのが、アップルコンピュータ(現アップル)日本法人社長だった原田泳幸氏でした。ここからマックの新しい展開が始まりますが、最終的に原田路線は同社が凋落するきっかけともなってしまいました。

(The Capital Tribune Japan)