1998年には本山(左)を擁し、雪中の戦いをものにして頂点に立った(写真:アフロスポーツ)

 試合終了を告げる主審のホイッスルが、止まっていた時計が再び動き出したことを告げる。ユニフォームの色になぞらえて、「赤い彗星」なる異名がつけられた東福岡(福岡)が誇らしげに雄叫びをあげる。
 9日に埼玉スタジアムで行われた全国高校サッカー選手権の準決勝。連覇を狙った星稜(石川)をシュートわずか1本に抑え、攻めては21本のシュートを浴びせ2対0のスコア以上の実力差を見せつける圧勝で、連覇を達成した1998年度大会以来、17年ぶりとなる決勝進出を決めた。

 コーチから昇格して14年目。50歳の森重潤也監督が、目を細めながら選手たちを見つめる。
「試合前に『ウチのサッカーをやろう』と選手たちと話し合いました。しっかりと表現してくれた選手たちは、本当にたくましいと思う」

 現在は総監督を務める志波芳則監督に率いられた17年前は、高校サッカー史上で「最強」と呼ばれる軌跡を刻んでいた。基本テクニックを徹底して反復させて高いレベルへ昇華させる、約10年に及んだ地道な指導が花開いたのは1997年度だった。

 後に鹿島アントラーズや年代別の日本代表で活躍したMF本山雅志(現ギラヴァンツ北九州)を擁したチームは、高校サッカー史上で初めてインターハイ、全日本ユース選手権、全国高校選手権の三冠を制覇。公式戦52戦無敗という伝説とともに、東福岡の名前を歴史に刻んだ。

 翌1998年度の選手権も制した東福岡のもとへは、人工芝のグラウンドや完備された寮などを含めたハイレベルな環境を求めて、近隣の九州各県や山口県、四国4県から優秀な選手たちが続々と集結するようになる。皮肉なことに「強すぎる東福岡」の存在は県内のライバル校も刺激し、そのレベルを引き上げた。2003年度の全国選手権で準優勝を果たした筑陽学園は、その象徴的な例といっていいだろう。

 全国選手権出場を果たしても、真っ先にターゲットとされる状況が続いた。市立船橋や流通経済大学柏(ともに千葉)など、東福岡を倒した高校が頂点に立った大会もあった。

 そして、九州国際大学付属や東海大第五の後塵を拝し、3年連続で全国選手権出場から遠ざかっていた2013年の春。現在の3年生たちが東福岡へ入学してくる。

 キャプテンを務める司令塔の中村健人(3年)は、志波総監督や森重監督、コーチングスタッフから入部直後にかけられた言葉を、いまでも鮮明に覚えている。
「史上最弱の世代だ、と言われたんですよ」