【連載】色川冬馬の世界の野球〜アメリカ編(4)〜
2015年から、野球のパキスタン代表監督を日本人の色川冬馬さん(26)が務めている。選手としてアメリカの独立リーグやプエルトリコ、メキシコのリーグでプレーし、その後代表監督としてイラン、パキスタンを指揮した色川さん。これまでの経験を通じて世界各地の野球文化や事情を紹介するとともに、日本野球のあるべき姿を探っていく。

アリゾナでいつも試合を応援しに来てくれた5歳の少女と色川さん(2010年当時)

 2010年、フロリダでの武者修行を終え、トライアウトリーグ(入団テスト)に参戦するためアリゾナに移動した私に、5歳の少女との小さな出会いがあった。アメリカ人のお父さんと日本人のお母さんを持つ彼女は、時間の許す限り試合の応援に来てくれた。誰よりも大きな声で、いつもおしゃれな格好で応援する彼女の姿は、何かに夢中になり過ぎるくせのある私に、つかの間の一呼吸を与えてくれていた。

 世界中からさまざまなバックグラウンドを持つ若者が約200人集まり、1カ月で20試合が行われる2月のアリゾナ。プロのスカウト、独立リーグの現役監督・コーチ、元メジャーやマイナーの選手らも交わるそのリーグで私は、次の道を探っていた。

野球が生活に溶け込むアメリカの風景

アメリカでのトライアウトに参加した色川さん(右)とチームメイト(2010年当時)

 この時期のアリゾナは、アメリカ北部、カナダなどの寒い地域に住む老人が、暖かい気候を求め集まってくる時期でもある。そんな余暇の過ごし方をする彼らは「スノーバード」と呼ばれ、球場にも足を運び、往年のスター選手たちからサインをもらい、夢を追う若者を応援して楽しんでいる。野球が、自然と生活に溶け込み、実にアメリカらしい風景だ。そんなお年寄りとの会話で、英語の練習をすることもあった。

 広い青空のもと、日々練習と試合を繰り返し、日が落ちるころにチームメイトと芝の上で談笑する時間が大好きだった。その1年前まで高校球児だった私は、心も身体も泥塗れになって必死にボールに食らいついていた。アメリカに来て、全く異なる環境で、新たな野球の魅力にとりつかれていた。そしてシーズン終了時、私の打率は3割に到達していたが、上には上が山ほどいることを知った。またもアメリカ球団からの誘いはなく、帰国を余儀なくされることになった。