江戸時代に活躍した、元祖「相場の大神様」本間宗久(そうきゅう)。コメ相場で成功したものの、投機を好まなかった本間家からは追放されてしまいます。その後、宗久は弟子を持ち、コメ相場の精髄を伝承してくこととなります。

 投機の才だけではなく、生まれ育った山形・庄内の農産物である米を誇りに思い、人情味あふれる宗久の人柄もまた、いまなお「大神様」と呼ばれるゆえんでしょう。今回はそんな宗久の投資スタイルをより深く、市場経済研究所の鍋島高明さんが解説していきます。

投資家の美学

コメ相場に取り組む基本姿勢は「買い」 相場で失敗した男の復活を後押し

庄内出身の宗久は、コメの安値を願っての「売り」は禁じ手だった(写真はイメージ、提供:アフロ)

 米相場の本場、堂島市場で名を成した本間宗久は江戸に向かう。かつて敗北を喫した江戸でも神算鬼謀ぶりを発揮し、宗久の連勝記録は止まらない。酒田・海晏寺(かいあんじ)で相場に開眼した宗久にはいまや敵なしである。宗久の力を物語る俚謡(りよう)が残っている。

 「酒田照る照る 堂島くもる 江戸の蔵前雨が降る」

 酒田=宗久がコメ相場の震源地であることを謳ったものとされる。

 宗久のコメ相場に取り組む基本姿勢は「買い」である。庄内という米の大産地で生まれ育った者としてコメの安値を願っての売りは禁じ手であっただろう。山口映二郎はその著『宗久翁秘録』の中で、1つのエピソードを紹介している。

 「宗久が本間家で実権をふるっていたころ、本間家出入りの米屋で善兵衛という者がいた。その男はコメ相場で大失敗して身上はもとより、家屋敷まで人手に渡り、裸一貫、借金を返すため米人足をしていた。本当のふんどし一本で、厳寒のさなか、酒田名物の地面から吹き上げる地吹雪を受けながら、汗を流している。これを見た宗久が驚いて、わけを尋ねると、相場に敗れ、いまは妻子とともに、掘立小屋のようなものに住まい、乞食の一歩手前の状態という」

 この時、宗久が侠気を発揮する。こうした者を見捨ててはおけないのが本間家の血でもあった。宗久は善兵衛に「もう一度相場をやってみる気はないか」とただすと、「あります」という。

 宗久「買いで失敗したというが、いまの相場は買いか、売りか」

 善兵衛「やはり買いだと思います」

 宗久「ならばよし。金はおれが出すからすぐ買いに動け」

 宗久の義金で善兵衛は買った。相場はどんどん上がり、わずか1カ月で大きく利食いすることができた。借金は返し、家屋敷も戻ってきた。めでたし、めでたし。