東日本大震災から5年を迎えることを受け、宮城県・南三陸町の佐藤仁町長が25日午後1時から、東京の外国特派員協会で記者会見を行った。

 同町は震災の津波で壊滅的な被害を受けたが、現在の町の復興状況などについて語った

【中継録画】東日本大震災から5年 宮城・南三陸町長が記者会見

防潮堤の議論について

東日本大震災から5年 宮城・南三陸町長が記者会見

オーストラリアの記者:次の津波についてまだ分からないことがあります。

佐藤:はい。ありがとうございました。防潮堤の議論は、いろいろさまざまお聞きをいたしてございます。で、ちょっと歴史を振り返るんですが、1960年のチリ地震津波、っていうのがございまして、そのときもうちの町、41人の方々が犠牲になりました。で、私のうちもそのときなくなりましたし、今回の東日本大震災でもなくなりました。で、その1960年のチリ地震津波のあとに、5.5メートルの津波で、そのあとに5.5メートルの防潮堤、うちの町、造りました。ずっと造りました。で、今回の東日本大震災では、残念ながらその5.5メートルのはるか上を越してしまいました。

 ですから、防潮堤の高さの議論というのはいろいろあってしかるべきだと私は思います。ただ、防潮堤不要論ということについては、私はその問題については、私はそうではないというふうに思っております。といいますのも、うちの町、5.5メートルの津波があって、何回も、そこを超す津波は来ませんでしたが、何回も津波はうちの町に押し寄せてございます。もっともっと言いますと、あの東日本大震災の1年の間に、うちの町、3回、津波来てます。東日本大震災、その2日前、3月9日、この日も50センチの、うちの町、津波来てます。それからその1年前の2月28日、チリで大きな地震がありまして、その津波が70センチ来てます。これは全て防潮堤が救ってます。

 ですから津波の、何回も何回も津波の災害を受けていると、防潮堤っていうのはないと財産を守れないんですよ。そういう地域なのですよ。ですから、私は高さの問題はいろいろ議論をしたって、私は構わないと思います。

 それともう1つは、震災から私、ずっと思っているのは、うちの町民の命を守るだけではないんですよね。結局今回の東日本大震災もそうでしたが、うちの町にたまたま仕事で来てた人、観光で来てた人、この方々も犠牲になっているんです。で、南三陸に住んでいる方々っていうのは避難場所を知ってるんですよ。ですから、避難して逃げられる。ところが、仕事とか観光で来た人は、どこに逃げればいいか分からないんですよ。そういう方々の命もしっかり守るっていうのが、私はこれからの防災の在り方の1つの考え方だと、私は思っているんです。