東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた宮城県・南三陸町の佐藤仁町長が25日、東京の外国特派員協会で記者会見を行った。復興の進ちょくについて語る中で、同町で建設が進む防潮堤をめぐる議論について、「不要論は違うと思う」と見解を語った。

【中継録画】東日本大震災から5年 宮城・南三陸町長が記者会見

住宅再建は「第4コーナー」

[写真]復興の現状について語る南三陸町の佐藤仁町長

 佐藤町長は、震災からの日々を「あっという今に過ぎ去った5年だった」と振り返る。南三陸町は立地的に北に気仙沼市、南に石巻市という大きな市に挟まれた小さな町であるため、「このまま町が情報発信をしなければ、埋没してしまうという危機感を持った」と当時の思いを語った。

 復興の進ちょくについて、住宅再建は「いま第4コーナーを回ったところ」と説明した。災害公営住宅や高台移転は、両方とも800戸前後を造成しなければいけないが、あと1年でほぼ終了するといい、「やっとここまで来れた」と感慨深く語った。

ずっと津波に襲われてきた地域

 南三陸町では、津波に襲われた沿岸部で防潮堤の建設が進んでいる。これをめぐっては「高台移転したのに何を守るのか」など不要論も含めて、さまざまな意見が出ている。それに対し、佐藤町長は「防潮堤の高さの議論はいろいろあってしかるべき」としたが、不要論については「それは違う」との見解を示した。

 三陸地方は「過去からずっと津波災害の歴史にさいなまれてきた」(佐藤町長)。1960年のチリ地震では南三陸町で41人が犠牲になり、佐藤町長の家も失われたという。チリ地震の後、5.5メートルの津波が来て、同町は5.5メートルの防潮堤をつくったが、東日本大震災では、そのはるか上を越す津波に襲われた。

 5.5メートルを超す津波は何度も来てはいないが、津波自体は幾度も同町を襲っている。佐藤町長は「これはすべて防潮堤が救っている。防潮堤がないと財産を守れない地域だ」と強調する。

 また、震災では、たまたま仕事や観光で訪れた町外の人たちも犠牲になったとして、「地元の人は避難場所を知っているが、観光で来た人たちはどこに逃げればいいのかわからない。そういう人たちの命を守るのが、これからの防災のあり方の一つ」と述べた。

防災対策庁舎の今後の位置づけは

 震災時の津波では、同町の防災対策庁舎で町職員や消防、警察官ら43人が犠牲になった。その防災対策庁舎をめぐって震災遺構として残すべきか、取り壊すべきか議論になり、町民の間でも意見が分かれたという。

 結局、宮城県がとりあえず20年間は保有するという結論になったが、佐藤町長は、残りの15年間で「防災対策庁舎が将来の子どもたちにとってどういう位置付けになるのか、町民の皆さんに考えてほしい」と語った。