背番号8をつけて柿谷がセレッソに戻ってきた(写真:アフロスポーツ)

 恐縮そうな表情を浮かべながら、スーツ姿の柿谷曜一朗が殊勝な言葉を口にした。
「僕が変な注目をもって帰ってきてしまったので、みんなには申し訳ないですけど…」

 J1から1日遅れの2月28日に開幕したJ2。セレッソ大阪が乗り込んだ町田ゼルビアのホーム・町田市立陸上競技場は、歴代最多の1万112人のファンやサポーターで埋め尽くされた。
 4年ぶりにJ2へ復帰した町田。新たな一歩を踏み出す開幕戦で、スイスの強豪バーゼルから古巣へ電撃復帰を果たした日本代表経験者の柿谷が、初めて町田のピッチにやってくる。

 地元チームへの期待感と、W杯の舞台にも立った天才への好奇心。2つの思いが相乗効果を生み出し、3日前の時点で前売り券が完売、当日券もなしというフィーバーを招いた。

 果たして、注目の90分間は町田が10回以上の決定機を作り出す。韓国代表GK金鎮鉉を中心に耐え忍び続けたC大阪は後半26分、右CKから新加入のMF山村和也が値千金の先制弾を叩き込んだ。内容で後塵を拝しながら、泥臭く勝ち点「3」という結果を手にした瞬間。喜びを爆発させる仲間たちとは対照的に、柿谷は大きく息を吐き、腰に手を当てながらピッチを見つめた。

 移籍前と同じC大阪のエースナンバー「8」を託され、移籍前は無縁だったキャプテンを拝命した26歳はこのとき、胸中にどのような思いを募らせていたのか。

「大勢のサポーターが遠くまで駆けつけてくれたなかで、どのような試合であれ、僕たちは勝ち続けていかなければいけない状況にある。いい試合をしたけど勝てなかった、ということは許されない。その意味で、今日は結果を出せてよかった」
   

 バーゼルで2年目を迎えていた昨年秋。C大阪は柿谷の獲得を検討し始める。チームはJ1復帰へ正念場の戦いを続けていたが、玉田稔社長は「それとは関係なかった」と振り返る。

「ウチはいままで育成型クラブとしてやってきましたけど、実際は選手が出ていくばかりでした。もちろん海外へ出し続けることも重要ですけど、何らかのタイミングで戻ってくるケースも作りたかった」

 ヨーロッパのクラブに所属するC大阪出身者で、白羽の矢を立てられたのがバーゼルでチーム構想から外れていた柿谷と、ドルトムントへ期限付き移籍していた20歳のMF丸岡満だった。

 惨敗したW杯ブラジル大会で、心身の弱さを痛感させられてから数週間後。愛してやまないC大阪を離れる決意を固めた柿谷は、ファンやサポーターと約束を交わしている。
「もっともっと強くなって、8番が似合う選手になって帰ってきたい」

 涙の旅立ちからまだ1年半も経っていない。本格交渉を始めた直後の柿谷は、J1昇格を逃したC大阪の窮地を救いたいという思いを抱えながら、志半ばでの復帰に逡巡していたと玉田社長は明かす。

「こんなタイミングで帰っていいのか、というのは(柿谷)曜一朗のなかにあったみたいですね。結果的には上手くいかなかったかもしれないですけど、バーゼルで学んだことは大きいはずですし、本人は『何とかセレッソの力になりたい』とも言ってくれました。いろいろと話し合いを重ねるなかで、私には『オレがJ1へ上げてやる』という彼の気構えも感じました」

 柿谷の交渉における最大のネックになったのは、バーゼルが設定した1000万ユーロ(約13億5000万円)の違約金だった。満額で支払うのはまず不可能。C大阪はエージェントを介してチームが置かれた状況と熱意を伝え続け、最終的には玉田社長をして「5分の1、いや6分の1かも」と言わしめる大幅減額に成功する。

「曜一朗の気持ちが強いということを、最後はバーゼル側も理解してくれたと思っています。そうでなければ、あれだけの減額はないはずなので」