[画像]発売半年で年産予定台数を販売したロードスター。マツダのブランディングに深く関わる重要な一台だ

 いまや“世界の”という言葉を冠につけても違和感がないマツダ・ロードスター。歴代の全てのモデルが名車であると言ってもあながち間違いではないだろう。

 では「ND型」と言われる現行モデルに欠点はないのか? そこが気になる人は多いはずだ。マツダによれば、すでに発売初年度の目標販売台数は半年でクリアしている。初年度から販売台数をクリアできなければ主査は切腹ものなので目標クリア自体は驚くに値しないが、予定の半分の期間で達成したと言われれば、それはもう大成功の部類に入るだろう。NDロードスターは売れているのだ。

 それだけ多くの人が期待しているのならばと言うことで、歴代モデルの立ち位置を確かめつつ、現在のロードスターの評価をじっくりやり直してみようというのが今回の原稿の趣旨である。

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ライトウエイトを再発見した初代NA型

[画像]1989年にデビューした初代ロードスター。当時はユーノス・ブランド

 まずは歴代モデルの簡単な振り返りから始めよう。NAと呼ばれる初代モデルは、当時のマツダにしてみれば変わり種の一台だった。社を代表するクルマに育つと思って作ったわけではない。ラインナップにスポーツカーとしてより本格的なRX-7があったことも大きいだろう。だからロードスターは、その動力性能において最速を標榜する必要がなかった。

 ロードスターが手本にしたのは、ロータス・エランであり、エランが手本にしたのはオースチン・ヒーリー・スプライトである。今や神格化されているこの2台に無礼なことを言うと塩柱にされてしまうかもしれないが、あえて書けば、この当時の英国製スポーツカーは、冷蔵庫の残り物で作った総菜みたいなもの。要するに手近で調達できる部品を上手く使ってスポーツカーに仕立てたものである。絶対的な動力性能よりも軽さを活かして曲がりくねった道で真価を発揮するクルマだった。

 当時のマツダのラインナップを考えれば、このコンセプトは新たな追加車種であるロードスターにとてもマッチした。上に社の威信を賭けたRX-7があり、パーツ供給源としては量販によってコストが抑えられるCセグメントのファミリアがある。ファミリアのパーツを上手く使えば、RX-7より低速レンジに向けた安価な軽量スポーツカーができるのではないか? そういう筋道だったはずだ。

 ただし、現在を前提に考えると至極妥当に思えるこの考え方は、当時それなり以上の冒険だった。それは英国製のライトウェイト・スポーツは1980年代の訪れと共にすでに絶滅しており、ごく限られたマニアが零細メーカーの特殊モデルを細々と買い続けている状態だったからだ。

 初代ロードスターは世界中の量産メーカーがその可能性を見限っていたライトウエイト・スポーツを再発見して新しい道を拓いたという意味で世界の自動車史に多大な影響を与えたのである。

 喝采をもって受け入れたのは米国だ。そして何より驚くことに、ライトウエイト・スポーツの本場英国でもロードスターは大歓迎される。ロードスターはマツダ自身も驚くようなヒットモデルになった。

 ところが1990年代は衝突安全に関する規制が一気に厳しくなって行った時代である。1989年にデビューしたNA型ロードスターは以後2世代にわたってこれに苦しめられることになる。マイナーチェンジでボディを強化した他、ドアに側面衝突対策のつっかい棒を入れ、車両重量が一気に増えた。軽量を旨とするライトウェイト・スポーツとしては根幹的魅力が傷つきかねない。しかも低価格であることも重要だ。そこでマツダは低コストで増加した重量に対抗するために排気量を1.6リッターから1.8リッターに増大させた。

 この時の試乗会で、マツダのエンジニアが必死に繰り返した「ロードスターを大きく重くしようとは全く考えていません。新安全基準を満たしながらどうやって、軽量を維持し、また安価なスポーツカーであり続けるかのための苦渋の選択として排気量をアップしました」という言葉は忘れられない。