女川のいまの様子は、町全体が工事中でもあり、非常に慌ただしい。海を見下ろす高台にある病院には、慰霊碑が置かれている(撮影:村田信一)

 宮城県の沿岸部は、東日本大震災で津波による被害を受けた場所がいくつもあり、その被災地での復旧、復興の大規模な工事が続いている。

 約2年ぶりに訪れた女川では、津波に流された町全体が工事中で、当時の面影がほとんど残っていなかった。また、以前撮影した横倒しになったビルや、多くの行員が犠牲になった銀行など、震災遺産として残すべきとの声もあった建物の多くが、いまでは跡形もなくなっていた。

 それぞれの人の思いもあるのだと思うが、やはり大きな津波があって、たくさんの人名が失われたということを目に見える形で記憶、継承していくことが必要だと思うのだが、現在の工事が終わり、町全体が新しく生まれ変わったときに、記憶は色あせてしまうのではないかという危惧もある。

復興への遠い道のり【村田信一】

大川小学校は、いまも依然と同じように静かに建っている(撮影:村田信一)

 女川から国道398号線を北上していくと、右側には海が見える。震災が起きたときには、この海が大いなる恐怖となって押し寄せてきたとは信じられないほどに、目の前に広がる海は穏やかであり、心安らぐ光景が広がっている。この自然こそが、私たちが大事にして敬っていくべき大いなる存在であり、それの大きな力を決して甘く見てはいけないのだと、あらためて思う。

僧侶たちが慰霊に訪れていた(撮影:村田信一)

 石巻市の大川小学校のことは、幾度も報道されているので、いまさら何が起きたのかを繰り返す必要もないだろう。ただ、84人の児童、教員の命が失われ、なぜそういうことになったのかが、いまでも明らかになっていないということ。そして、二度とこのようなことが起きないように、記憶を受け継いでいかなければならない。

大川小学校の目の前に流れる北上川。護岸工事や防潮堤の建設が続いている(撮影:村田信一)

 大川小学校の校舎も、震災遺産として残すべきだと思うが、反対する声も根強いと聞く。今月中に、市は結論を出すという。いずれにしても、今日は3月11日。多くの遺族や地域の人たちが訪れ、静かに花を手向けていた。また、校舎の清掃をする人たちの姿も見られた。いつもは静かな地域だが、5年目という節目の年であるから、今日は一日人々が訪れるのだろう。

 津波を起こした北上川の工事、防潮堤の建設は始まっている。また、行方不明者の捜索も、引き続き行われているようだ。

大規模な工事が続いている北上川に面した小さな港はまったく手がつけられていない(撮影:村田信一)

 どの被災地にも、それぞれさまざまな思いが溢れ、厳粛な気持ちになるものだが、大川小学校は、子どもたちがなくなったということで、震災のシンボルになっている面もある。そういうことも含めて、この校舎を残し、伝えていくことが意味を持ってくるのだと思うのだが。

(写真/文:村田信一)