避難所の環境を整えることが第一

給食室の大鍋を大きなしゃもじでかき混ぜる女性

 役場から限られた飲料水は届いたが、トイレは流せない。近くの用水路からバケツリレーで水を汲み出し、トイレ横に置いた。

 小学校だけでも水を確保したい。今度は地区の水道組合の人々が動いた。学校はプールの水を確保するために、山からの湧き水を直接引いてきていた。その管がどこかで破損しているにちがいない。管をたどり、補修。体育館の前の蛇口から水が吹き出したのは、本震の翌日遅くのことだった。「みんなが暮らす避難所の環境を整えることが第一。家の片付けとかは二の次だ」と、堀田泉組合長(64)。

 「うちは、『待つだけの避難所』ではなか、と伝えている」と総括の堀田さん。避難当初の救護活動から始まり、その後も、炊き出し、救護、物資の配布など、今も住民たち自らが担う。堀田さんは、常にマイクを握り、住民たちにやってほしいこと、やらなくてはいけないことを話す。「自ら、この生活を生き抜く。一人一人が、避難という集団生活で何ができるか考えてください、ということ」。

自分たちがここを守らなければ

 午後5時半。カレー麻婆と、トマト、缶詰の夕食ができあがり、避難する人々が列を作り、体育館のあちこちで、家族の団らんの風景が広がった。「ふわふわの豆腐と、カレーのスープだと、高齢者にも食べやすいでしょ。子どもからお年寄りまで配慮したメニューを考えるくせがついた」と調理を担当する女性。自分の役割を担当する住民たちが、それぞれ工夫を凝らし、進化を遂げている。

 午後6時には、海自佐世保地方隊による風呂が設置された。隊員たちが懐中電灯で照らすなか、人々は次々に入浴し、つるんとした顔で出てきた。通常、一人で暮らしている女性(80)は、自宅の風呂が壊れていたところに地震に襲われ、約2か月ぶりの入浴だったという。「この1週間、地獄だったけん、心の洗濯というのかね。今夜はぐっすり眠れるやろ」と顔を拭った。

 地元消防団員は夜中、寝ずで周辺の警備を続ける。「自分たちがここを守らなければ、誰が守ります?」と若い団員。

 余震、続く断水、復旧の見通しがつかない我が家。不安は尽きないが、「自ら動く」住民たちの努力が辛い避難の日々を微かに明るく照らしている。
 
(取材・文 木野千尋)