逆境を力に。青森山田が青森県勢としてはじめての栄冠(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 メインスタンドの中央に設けられたロイヤルボックスで一世一代の笑顔を輝かせる教え子たちを、青森山田(青森)の黒田剛監督は瞳にうっすらと涙をためながらピッチレベルで見つめていた。

「雪国のチームでは勝てないのか、と思ったときもあったので…」

 4万1959人の大観衆が見守る埼玉スタジアムで9日に行われた、第95回全国高校サッカー選手権大会決勝で2つの新たな歴史が日本サッカー史に刻まれた。

 前橋育英(群馬)から大量5ゴールを奪い、守ってはFC東京入りが内定しているGK廣末陸(3年)を中心とした守備陣が相手攻撃陣を零封した青森山田が、青森県勢として初優勝を達成。1966年度の第45回大会を制した秋田商業(秋田)を越えて、最北端の優勝チームを実に半世紀ぶりに更新した。

「新たな雪国としての歴史を作れたことが本当に嬉しい。雪国のなかでも豪雪地帯のなかで、選手たちが本当によく成長してくれたと思う」

 表彰式を終えて、記者会見場に姿を現した46歳の指揮官の両目はまだ潤んでいた。脳裏には何度も挫折しかけ、そのたびに自らを奮い立たせてきた日々が、走馬灯のように駆け巡っていた。

 北海道で生まれ育った黒田監督は登別大谷(現北海道大谷室蘭)から大阪体育大学に進み、1994年に保健体育科教諭として青森山田へ赴任。選手権に1度出場していたサッカー部のコーチに就いた。

 しかし、当時の監督が翌年に突然辞任。右も左もわからないなかで後任を託された。強くなるには試合をするしかないと、マイクロバスのハンドルを握っては関東や関西、果ては九州へ遠征を繰り返した。

 以来、22年間の監督生活で選手権出場を逃したのは一度だけ。就任3年目の1997年度大会からは実に20年連続でヒノキ舞台に立ち続けてきたなかで、あるポリシーを貫いてきた。

「北海道の出身でもあるので、雪というもののよさを、スポーツにも生かすことができるんだということを証明したかった」

 最も深いときで1.5メートルほども積もってしまう雪を、練習の邪魔をする不倶戴天の敵と考えるのではなく、心技体を成長させていくうえでの最高のパートナーとして受け止める。たとえば雪かきにしても、人間の力が及ぶ範囲を越えてしまったときは、あえて大自然の猛威に身を任せてきた。

「1メートルも積もってしまえばスコップがほとんど入らないので、そのときは雪かきをしません。積もった上で練習をします。ひたすらゲーム形式の練習をやって、負けたチームには罰として隣接する野球場の新雪を思い切り走らせる。シンプルなメニューを20セット、30セットと繰り返しました」

 ゲームがハーフタイムに入ると、雪面に顔を出しているゴールバーの上に選手たちが腰かけて休憩する光景はいつしか校内名物となった。ときにはボールを3つも入れる変則ゲームを行うなど、指揮官をして「砂浜よりも大きな負荷が足腰にかかる」と言わしめる雪上を数ヶ月間、無我夢中になって走り回る。