安政大地震の際、江戸の庶民に「正しい情報」を伝えるため、下世話な儲け主義だったはずのかわら版屋が大活躍し、ジャーナリズムの萌芽を感じさせました。

 しかし、地震の直後に登場したのは「鯰絵(なまずえ)」とよばれるかわら版や錦絵でした。擬人化したした鯰が世直ししたり、大暴れして鹿島大明神に叱られたり、一見ただのおふざけのような、深読みするとじわじわ染み込むブラックユーモアにあふれた鯰絵は、江戸の庶民には大うけだったそうです。そんな鯰絵はどのような目的で作られ、どのような点が江戸の庶民の心に響いたのでしょうか? 大阪学院大学、准教授の森田健司さんが解説します。

【連載】「かわら版」が伝える 江戸の大スクープ

とにかく笑えて、バカうけだった鯰絵と江戸っ子気質

1855(安政2)年発行の鯰絵「世直し鯰の情」(筆者所蔵)

 1855(安政2)年10月2日、多くの人々が眠りについた午後10時頃に発生した安政江戸地震は、江戸中の建物に被害を与え、数え切れないほどの人命を奪い去った。愛別離苦の深さは、今も昔も変わるものではない。人々の嘆きや悲しみは、160年近く後の世に生きる我々にも、容易に想像できる。

 しかし、この地震の直後に流行したある刷り物は、現代人の目には、おそらく奇異に映ることだろう。その刷り物は、後に「鯰絵(なまずえ)」と呼ばれることになる。

 その名の通り、鯰絵には、魚類である鯰の絵が描かれていた。巨大地震のすぐ後に売られた刷り物であると聞くと、おまじないに使うものや、お守りの類を想像するかも知れない。そう思って鯰絵を見ると、拍子抜けすること請け合いである。鯰絵の多くは、深刻さの欠片すらない、ユーモラスな雰囲気を醸し出す一枚刷りなのだ。実に、絵柄も今の漫画に繋がるものが多い。これは一体、何なのか。

 オランダの人類学者、C・アウエハントは、鯰絵について次のように述べている。

 当時の社会状況のなかで考えてみると、鯰絵がねらっていたことの一つは、明らかに、嘲笑、下品な冗談、泣き笑いを絵の中に折り込んで、都市に住む民衆の生活にもっと潤いを与えることであった。

  ― 小松和彦他訳、C・アウエハント著『鯰絵』(岩波書店)、111ページ

 つまり、鯰絵とは、震災直後の江戸に「笑いを提供する商品」だった。冒頭に掲載した「世直し鯰の情」は、擬人化された鯰3匹が被災者を助けている様が描かれたものだが、悲壮感がないどころか、滑稽にしか思えない。ここに込められた思いについては後述するが、とにかく、感傷的とは程遠い、ユーモラスな一枚刷りであることだけは間違いがなさそうだ。

 鯰絵は、その多くが多色刷りだが、普通の錦絵とは違って、ほとんどが非合法出版だった。幕府の許可を受けずに売られたので、多くには、改印がなく、絵師名も出版元も明記されていない。その意味でも、鯰絵はかわら版の一種だった。

 地震直後から企画され、数日後には完成した鯰絵は、驚くほどの数が売れた。どんどん発行し、鯰絵で一財産築いた者もいたぐらいである。現在確認されているだけでも、軽く200種を超えている。震災から2カ月半が経って、幕府が禁令を出し、版木を没収するまで、鯰絵の流行は続いたようである。

 それにしても、震災後の混乱時に、笑いを求める人々のたくましさには驚かされる。しかし、これこそが当時の江戸に生きた庶民の精神性だった。いわゆる、江戸っ子気質である。さっぱりしていて、どこまでも前向きな江戸っ子は、悲惨な状況にも屈することなく、泣き笑いしながら復興に勤しんだのだ。