江戸時代の老後は笑みがこぼれる隠居生活が送れたのか?(写真はイメージ、提供:アフロ)

 人生50年。俳人の松尾芭蕉(まつおばしょう、1644-1694)は、享年50歳、大坂で客死しています。本コラムで毎回登場している井原西鶴(いはらさいかく、1642-1693)は「浮世の月見過ごしにけり末二年」と人生50年、自分は余分に2年も生きて、この浮世で月見をしてきたと辞世を残しています。

江戸時代もじつは高齢社会だった?

 ところで、西鶴は『日本永代蔵』で「若き時、心を砕(くだ)き身を働き、老いの楽しみ早く知るべし」と、つまり、若いうちに一生懸命働き、早く隠居して人生を楽しむべきだと、そのためにおかねを大事にし、分限長者という億万長者になるべし、と説きます。江戸時代のベストセラーであった『養生訓』にて貝原益軒(かいばらえきけん、1630-1714)は「長生すれば、楽(たのしみ)多く益多し」とも述べています。

 江戸時代は、高齢化へ踏み出していた時代でもあり、70、80歳という長寿もそれほどめずらしくはなかったようです。そして、江戸時代は隠居天国で、高齢社会の現在からみると、時代の大いなる先取りだったと思えます。

 芭蕉や西鶴のように50代で亡くなると、老後資金など不要です。しかし、70、80歳までとなると、それなりの手だてが必要なのは、現在も江戸時代も同じです。隠居生活の経済基盤は、同居か仕送り、分限長者の資産というのは現在と変わりありません。老後人生に花を咲かせた測量家の伊能忠敬(いのうただたか、1745-1818)は、商家元主人で分限長者の私的年金者でした。

82歳まで長生きした、『翁草』著者、神沢杜口の慎ましくも優雅な老後

 ここで注目したいのは、公的年金の原型ともいえる経済基盤を持つ、ほぼ220年前に亡くなっている神沢杜口(かんざわとこう、1710-1795)です。江戸から明治にかけて、『翁草』という随筆で有名になりました。1887(明治20)年刊田口卯吉編『大日本人名辞書』にも取り上げられています。

 幕府の御家人であった神沢ですが、著書の中で徳川と戦って一度も負けたことがない真田を当世の英雄だと述べています。

 「筆をとっては、将軍様のことであっても、遠慮することなく、書く。書いたがゆえに首をはねられても、八十過ぎの老人、恨むことはない」と述べ、気概ある姿勢を示しています。
 
 神沢杜口は86歳で亡くなりました。大阪の人で京都町奉行与力家に婿入りし神沢姓となり、妻に先立たれ40歳過ぎに家督を娘婿にゆずり隠居します。早い隠居のようですが、人生50年なら隠居期間は10年で、決して早くはありません。たまたま長生きしたため、40年以上にわたる隠居生活になったのです。

 人生はいつ終わるのかは、わからないものです。独居といっても実際には身の回りの面倒をみた女性がいたようですが、42年間に18回の転居を繰り返し、2年半に一度の転居です。町奉行与力家のご隠居だといっても、シンプルな生活だったと想像できます。そのうえの定期的な転居ですから、家財道具なども必要最小限、まさにミニマリストの先駆けでしょう。

 杜口の生活の基盤は、与力家禄の一部を当てていると思われます。禄は、まさに幕府による「公的」な年金です。このような安心、安定の基盤のうえに、地域に根ざした生活があったのではないかと思えます。『翁草』の一節で晩年、82歳のときに次のように記しました。

 「くわい(いは旧字の「い」)もらふ、芋もらふ、翁草書く、娘や孫が来る、目にはさやかに見えども、八十二になる、銀(かね)もらふ、碁をうつ、早梅もらふ、書出しが来る、鱈もらふ、福寿草くれる、発句案じる、眼鏡は入らず、遠目はきかず、耳が聾(し)ふ、嘘がきらいに、藁がくる、餅が来る、冬がいぬる、島原が賑ふ、田舎が焼る、つい消る、景があたらしうなる、水が流れる、山が動かぬ、あなたのしや楽書堂」

 超訳しますと、「82になると耳が遠くなり、目も見えにくくなりますが眼鏡を使うのも億劫。くわい、芋、梅、鱈、福寿草、餅など季節に応じたいただきものがあり、お金をいただくことも。書出しは芝居の番付、そう当時はランキングが流行っており、毎日『翁草』を書いたり、発句を考えたり、碁を打ったり、そうこうすると、もう嘘をつくこともイヤになってきました。京(京都)最大の火災であった“天明の大火”で町中が焼けて消えてしまったが、新たに家々が建ちならぶ景色が新しい。変わらないのは、流れる川、動かぬ山。ああ、わが住まい楽書堂、隠居は楽しいかぎりだ」
 
 なんとも、うらやましい老後の生活です。

ファイナンシャルライター・瀧健
監修:井戸美枝
経済エッセイスト、社会保険労務士、ファイナンシャルプランナー。著書に『専業主婦で儲ける!サラリーマン家計を破綻から救う、世界一シンプルな方法』(講談社+α新書)、『知ってトクする年金の疑問71』(集英社)など著書多数。最新刊に『ズボラな人のための確定拠出年金入門』(プレジデント社、1200円+税)がある。

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