「愛人にしたいNO.1タレント」などの呼び名がある橋本マナミが映画『破門 ふたりのヤクビョーガミ』で自身初となる“愛人役”を演じて話題になっている。20代後半という年齢ながらグラビアで注目を集めると、その後はバラエティー番組だけではなく、大河ドラマ『真田丸』や連続テレビ小説『まれ』など女優としても活躍するなど大ブレイクを果たしたが、ここまでの道のりは非常に険しいものだったという。

【グラビア特集】「平成の団地妻」橋本マナミ 映画で“愛人役”に初挑戦

「全日本美少女コンテスト」の演技部門受賞で芸能界デビュー

橋本マナミ(撮影:山本宏樹/deltaphoto)

 橋本の芸能界デビューは、オスカープロモーションが主催する「第7回全日本美少女コンテスト」で演技部門賞を受賞したことがきっかけだ。この年には審査員特別賞を受賞した上戸彩もいたが、13歳で受賞した橋本にとって“演じる”という仕事は小さいころから目標とするものだった。

 「演技部門賞をいただけて、お芝居のレッスンを受けたり、ちょっとした役でドラマなどにも出演させていただいたりしたのですが、思うように成果も出せずに、悩むことが多かったんです」と当時を振り返る。

 そんな中、22歳の時に『シオンの桜』という舞台で主演を務めることになる。

 橋本の役柄は、戦争に行く夫を見送る妻の役。

 「稽古では涙を流さなくてはいけないところで泣けなかったりと、反省の日々でしたが、本番になったら自分でも感じたことがないぐらいの感情が沸き上がってきて、お芝居の魅力にとりつかれたんです。そこからワークショップに行ってお芝居の勉強を頑張ったんです」

仕事がない中、事務所を退社

橋本マナミ(撮影:山本宏樹/deltaphoto)

 しかし、橋本の思いと裏腹に、芝居の仕事は思ったように広がっていかなかった。

 「今でこそお仕事をたくさんいただけていますが、4年ぐらい前までは、すごく暇な時間が多くて……。お芝居の仕事がしたくて、どうしたらいいのか考えても全然ダメでしたね」と赤裸々に語る。

 そこで橋本はさらに思いを強くした。

 「とにかくお芝居のためになることはすべてやろうと思って、小劇場から大きな劇場まで、たくさん舞台を見に行きました。ボケっとしていたら前に進まないので、自分を高めることを1日必ず5つ以上しようと決めて、挑戦しました。感受性を高めるために本を読んだり映画を見たり、ジムに行って体を鍛えたり、人とたくさん話したり……」

 こうした行動にも、成功するという根拠はなかった。あるのは芝居への熱意だけ。

 それでも「私の周りにはすごく可愛いし、スタイルもよく、お芝居もうまい女の子が多かったので、周囲からも『もっとこうしなきゃダメだよ』って言われていましたね」と不安と焦りの日々だったという。

 一方で「大器晩成だから、今は花開かなくても、いつかそういう日が来るから」と声を掛けてくれる人もいた。「そういう人を一人でも二人でも増やしていこう」と自分に言い聞かせていることが前を向く原動力だったという。

 自分を信じて進む日々。しかし風向きは全く変わらなかった。

 「全然思うようにはいきませんでした」と苦笑いを浮かべると、そこで最後の一計を案じたという。「私がやっていたことを受け入れてもらえなくて、もがいていたんですね。そこでこれまでの自分を一度全部捨てて、一から始めようと思ったんです」と所属していた事務所を辞めるという方法に出た。

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