19年振りに日本人横綱が誕生する(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 待望の19年ぶりの日本人横綱が誕生する。
 大相撲の横綱審議委員会(横審)が23日、両国国技館で召集され、1月場所を14勝1敗で初優勝した大関・稀勢の里(30、田子ノ浦部屋)の横綱推薦が満場一致で決まった。
 横綱推薦の条件についての内規は「大関での2連続優勝を原則とする」とあるが、「これに準ずる好成績を挙げた力士を推薦する場合は、出席委員の3分の2以上の決議を必要とする」とも定められており、稀勢の里はこの内規にそって横綱に推薦されることになった。

 30歳と6か月。史上4番目の遅咲きの横綱は、いかに誕生したのか?

 今場所、稀勢の里のどこがどう成長したのか? という質問に相撲関係者の多くは「何も変わっていない」と答える。中学時代は茨城の常総学院など野球の名門校に誘われたほどの運動神経の良さを誇ったが、相撲に関しては「不器用」「愚直」と表現される。
 鋭い左差しから右上手をとる、いわゆる左四つの形を得意としているが、一方、あまりにワンパターンで、しかも立合いで揺さぶられると対応できず、「脇が甘いから簡単に中へ入られる」「足幅が狭いので腰が高い」という弱点や課題をずっと指摘され続けてきた。

 その弱点が、今場所、大幅に解消されたかといえば、そうでもない。
 琴奨菊などは、差されないように脇を強く締めて稀勢の里対策を徹底してくるが、それに対して稀勢の里は、裏をかくことや、さらに上を行くような策を弄することもせず、ひたすら我が相撲道を突っ走る。
 
 今回、初優勝にもかかわらず、たった10分の審議で横綱が決定した理由のひとつに、昇進前6場所の成績が勝率8割2分と高かった安定性にあり、2016年は史上初めて一度も優勝がないまま年間最多勝を獲得した。その安定性を生み出す背景にあるのが、愚直なまでにぶれない、変わらない、という稀勢の里の相撲スタイルなのかもしれない。

 そして、そのスタイルを支えてきたのが、先代の鳴戸親方(元横綱・隆の里)が起こした鳴戸部屋での角界一と言われた厳しい稽古だ。先代の「稽古はうそをつかない」の信念のもと、まさに血と汗と土にまみれる猛稽古で、今の稀勢の里の土台がたたき上げられた。土俵上での稽古だけでなく、礼儀や格式に対する教えも厳しく精神面も同時に鍛えられた。
 
 その先代が2011年11月に急死して以降、部屋の稽古量は落ちたとも言われているが、25歳までに肉体に蓄えた“貯金”は減らない。30歳となり、肉体的には維持の期間に入り、常に故障の危険と背中合わせとなった稀勢の里にとっては、ちょうどその環境の変化が、15日の場所中のコンディションをキープするためにはマッチしたのかもしれなかった。