事実を曲げない報道を目指して

 それでもなお、マスメディアはなんとか踏みとどまろうとしてきました。日本新聞協会の新聞倫理綱領には、「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」という一文があります。日本の放送法では、「政治的に公平であること、報道は事実をまげないですること、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」といった条文が明記されています(この条文が、公平・公正・中立な報道を問題にする際の根拠になります)。

 もちろん、ジャーナリズムが活動する場で、こうした倫理綱領や法律がそのまま実践されることはありません。だから、これらの規定は倫理的な、あるいはそれに向けて努力すべき目標だと言われています。これらを厳密に適用すると、日本国憲法第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」、第21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と抵触することになるからです。だからと言って、マスメディアは「真実の追究」を放棄しているわけではありません。多くの場合、事実を曲げない報道を心がけてきたと言えるでしょう。

新たな世論形成につながったか

 情報社会という言葉は、日本では1960年代後半から使われるようになりました。モノに代わって情報が社会の中心に位置するようになるというわけです。政治の世界では、マスメディアの役割がますます増大するようになりました。「メディア政治」、「テレビ政治」といった言葉が日常的に用いられるようになりました。あたかも政治の真ん中にマスメディアが存在するかのような印象を多くの人が持つようになりました。

 ところが、デジタル時代になってから、様相は一変してきました。インターネット、そしてSNSなどのソーシャルメディアが急速に普及するようになったからです。こうした「ニューメディア」は、当初はマスメディアに対抗するメディア、あるいは補完するメディアととらえられていました。マスメディアではすくえない、さまざまな声が新しいメディアを使って発信されるようになりました。実際、政治エリートに反発する一般市民が、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を通じて集い、抗議の声を上げるといった運動も生じるようになりました。世論形成の新たな道筋が開かれたという評価を行う人も出てきました。

 でも、事態はそれほど単純には進みませんでした。あまりも開かれ、誰でも情報の送り手になれるネット空間は、さまざまな問題を生み出すようになったからです。限りない「発言の自由」を手に入れた人々は、無責任で感情的な意見をネット上に掲載し、多くの人を傷つけるようになりました。

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