「ジャーナリズム」に本質的な変化

 その一方で、ネット空間はマスメディアの、そして従来型のジャーナリズムの「特権」まで脅かすようになりました。それまでプロのジャーナリストは、歴史の目撃者、あるいは立会人ということに誇りを持ち、時には危険をおかして取材を行い、ニュースを伝えてきました。ところが、事件や事故が起きた場所に居合わせた一般市民が、例えば被災者や難民たちが動画、写真、言葉でその状況をネット上に投稿するようになりました。そうした動画や写真が、マスメディアで使われることも当たり前になりました。

 かつて新聞は、取材体制や陣容の厚さの点でジャーナリズムの中心に位置していました。その後、速報性という点で放送に遅れをとるようになりました。でも放送にしても、さまざまに訓練や教育を受けたプロのジャーナリストがいます。ただし、今起きているのは、それとは本質的に異なる変化です。というのも、ネットを通じて事件や事故の現場から情報を伝えているのは、プロのジャーナリストではない一般市民だからです。

良質な情報が駆逐される?

 ネットの時代になって、マスメディアのジャーナリズムは危機を迎えます。人々は情報入手の手段としてネットにますます依存するようになると同時に、ネット上で自分の意見を自由に述べるようになりました。批判の矛先は政治エリートだけではなく、マスメディアにも向かうようになりました。また、政治問題や社会問題に関しては、自分の意見と似通ったネット上の主張にアクセスし、異なる意見に接する機会が減るという現象が目立つようになりました。これは最近、「エコーチェンバー」現象と呼ばれています。その結果、世論の分極化が進むようになったのです。

 ここで忘れてならないのは、この現象が比較的良質な情報を追い出す方向に作用しているということです。マスメディアのジャーナリズムは、確かに多くの問題を抱えています。それでも、なんとか踏ん張って社会に対して問題提起をしてきました。でも、そうした活動に対しても、「偏向している」、「偽善に満ちている」、「面白くない」という批判を浴びせ、その一方でネット上では「自由な」発言が飛びかい、それを互いに引用し合い、面白がる傾向がどんどん強まるようになりました。しかも、これだけグローバル化が進んできたにもかかわらず、人びとの関心の幅は狭まり、限定されるようになってきました。まさに「ネット大衆社会」とも言える状況が広がってきたのです。

 英国のEU離脱、そしてトランプ米大統領を生み出す要因の一つとなったと言われる「ポスト・トゥルース」の政治とは、こうしたネット大衆社会の産物にほかならないのです。


■大石裕(おおいし・ゆたか) 慶應義塾大学法学部政治学科教授。1956年生まれ。専門は、政治コミュニケーション論、ジャーナリズム論。主著、『メディアの中の政治』(勁草書房)、『戦後日本のメディアと市民意識』(編著、ミネルヴァ書房)、『ジャーナリズムは甦るか』(慶應義塾大学出版会)、『批判する/批判されるジャーナリズム』(同)

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