新潟の資産家の末娘に生まれた坂内ミノブは、前橋高等女学校卒業後、結婚しましたが、離婚して3人の子供を女手一つで育てることになりました。戦時中には紙、印刷業に従事、軍需で大もうけします。その後、出版業では失敗するものの店舗経営や不動産、株式投資でも巨利をおさめ、大物女性実業家として注目されます。

 やがて歯止めのきかない行き過ぎた株式投資の引き金となった「千葉銀レインボー事件」を起こします。戦後最大の怪女のもうけの手口を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。

  大物女性実業家と千葉銀頭取の古荘氏との出会い

  坂内ミノブが千葉銀行頭取の古荘四郎彦と出会うのは1948(昭和23)年ころのことで、出版業を営む一方、銀座で小さな百貨店「レインボー」を経営、女性実業家として名を出しつつあったころだ。出会いの場所は芝伊皿子(いさらご、現在の港区高輪付近)の坂内邸である。土地は1500坪という広大さを誇り、建坪は200坪、元は牧野伸頭伯爵の持ち物で“伊皿子御殿”と呼ばれていたのを坂内が100万円というのを90万円に値切って買った。

 話題が株に移ると、古荘は驚いた。坂内は一流株を中心に32社の株を持っていて時価にして1億2800万円にのぼるというのである。坂内はこの日の出会いをのちに『資本の谷間-千葉銀行との歴史十年』の中に以下のように書いている。

 「当時の私の資産は、以上の株式のほか、都内および地方に宅地、山林、家屋等の不動産を所有しておりました。古荘氏は『ホウ、その道のベテランでもこれ以上の銘柄は考えられませんね。これなら超一流株式だ。いつでも1億円くらいなら、必要でしたら融資しましょう』などとおっしゃっておられました。その時は、これだけの話でお別れしたわけですが、これが私に古荘氏と、そして千葉銀行とのつながりできた始めで……」

 やがて古荘から「ぜひとも千葉銀行の取引先になって欲しい」と懇望され、坂内も渡りに船と取引が始まる。しかし、結果的にはこれが致命傷となる。評論家の三鬼陽之助が「12億円の負債に挑む女社長」と題して書いた。


  

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