浅田真央の電撃引退を海外メディアも続々と報じた(写真:ムツ・カワモリ/アフロ)

 バンクーバー五輪で銀メダルを獲得した浅田真央のブログ発表による電撃引退を複数の海外メディアが、次々に報じた。米NBCスポーツの電子版は、「マオ・アサダがフィギュアスケートから突然の引退を発表」という見出しで伝えた。

 同記事は「3度の世界チャンピオンであるマオ・アサダは2018年のオリンピックまで競技をすると話していた。しかし1年後、競技から引退することを発表。彼女は“突然”のことだと言っている」と伝え、「2010年の五輪銀メダリストは、ソチ五輪で落胆させる6位に終わっていた。2014年3月に3度目の世界選手権に優勝した1ヶ月後に1年間の休養を取った。アサダは、2015年に復帰したが、苦しんでいた。昨年12月の全日本選手権では12位に終わっている」と、ここまでの現状を説明。

 電撃引退を発表した浅田の日本語のブログから「復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました」という部分を英訳して掲載した。
 
 同記事では「2018年の平昌オリンピックでは日本女子の出場枠が2002年以来の2枠となり、浅田にとってオリンピックに出場することはとても難しくなっていた」と、引退の背景に日本の平昌五輪への出場枠が「2」に減っていたことをあったと報じた。

 これまでの浅田の功績を称え、「浅田はこのスポーツにおける革新者として、競技としてのフィギュアスケートから去る。現在のトップの選手がほとんど挑戦しないトリプルアクセルを成功させていた」と、トリプルアクセルの第一人者としてフィギュア界をリードしてきたことを紹介。「彼女は2006年のトリノオリンピックでも金メダル候補だったが、年齢が若すぎて競技に参加することはできなかった」と、年齢制限にひっかかって出場できず、幻の金メダリストと呼ばれたトリノ五輪の悲劇についても言及した。

 また「浅田は2008年に初めての世界選手権優勝。バンクーバー五輪ではヨナ・キムについでの銀メダル。その翌月には浅田はトリノでキムを破って2度目の世界選手権優勝を果たした」と、キム・ヨナとのライバル関係について触れ、記事を締めくくった。