島徳蔵『大阪財閥論』藤山一二著より

 島徳蔵は学校の教科書に出てくることはないけれども、大阪・北浜の株の歴史に欠かすことはできない人物の一人でした。政界との癒着し、私服を肥やしていたなど悪評もさることながら、親分肌で頼ってくる者にはそれなりご利益も施したのではないかとのうわさもありました。

 仲介人としての修業時代から、その名を轟かせるようになるまでの島の投資家人生を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。

  
  政界、株式市場をも我が物とした北浜の怪傑、島徳蔵

 北浜の怪傑、島徳蔵ほどマスコミの評判の悪い男も少ないだろう。その才覚と実力にはだれもが舌を巻くが、政治家を手玉に取っての錬金術が王道を外れ、覇道に走るからだろうか。あるいは眼中に人なく、ごう岸に映るからだろうか。だが、140年におよぶ北浜の興亡史で、島徳蔵ほど存在感のほとばしる男もいない。戦後、日本経済新聞社社長を務めた反骨のジャーナリスト小汀利得(おばまとしえ)が株界と政界の癒着ぶりにほこ先を向け著書『街頭経済学』でこう描いている。

 「政界と深い因縁を結んでいる点で、島徳蔵の右に出る者はあるまい。島徳全盛時代に内地に取引所を作るだけでは足りなくて盛んに各地に賭博場を設けた。天津のテリトリ、上海のシャントリはまだしも漢口にまで取引所を作る騒ぎ……」

 島は特に京都選出の政友会代議士で衆議院議長を務める奥繁三郎と親交があった。時事新報記者が島の辣腕ぶりを書いている。

  

【連載】投資家の美学

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