――どうやったらそんなふうに友人の信頼を勝ち得ることができるんですか?

ローラ:友だちになるときって、会った途端に気が許せて全部話せてしまうし、向こうも話してくれる。例えばデイヴィッド・ミルチもそうでしたが、私は「この人いい人だな」と直感的に感じるんです。逆にとんでもない人を信じてしまうこともあります。私自身は、すごくオープンで、ばか正直で、ある意味フィルターがないんです。だから自分を守る術がない。アバターはそのために作ったんだと思います。この考え方はほかの国より、日本の方のほうが理解してくれる気がします。私の場合、仕事が先というか、作品を前面に置いて、自分自身は後ろへというスタンス。自分より前に作品があるわけです。これはもしかすると日本的な考え方なのかもしれません。

サバンナは“J.T.そのもの”に 独り歩きを始めた、映画『サラ、いつわりの祈り』

(c) 2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC. All Rights Reserved.

――2004年『サラ、いつわりの祈り』の日本公開で来日したときの印象は?

ローラ:素晴らしい国で、美しいし、安全だし、他人のスペースを尊重する。例えば電車に乗っていて子どもが椅子に上ろうとすると、お母さんはシートに紙を敷くんです。アメリカではそんなことあり得ない。日本の人にはこの後、誰かが座るからという思いやりがあるからだと思います。そういうところがいいなと思いました。

 でもこの時、私自身はとても孤独でした。当時は配給会社の人も私が誰か知りません。マネージャーなのにずいぶんコントロールしたがると、ちょっと怒っていたような気がします。大きなプレミアがあったんですが、サバンナとアーシアと私の間に問題(※当時サバンナとアーシアは恋愛関係にあった)があって、「私は行かない。皆で楽しんでらっしゃい」って、お部屋で『ロスト・イン・トランスレーション』を観ながら、小豆アイスと抹茶アイスを食べていました。お祝いの席に行ったら痛みが増すだけだし、望まれていない場になんか行きたくもない。私はマネージャーとして写真を撮って見えない存在でいることでよかったし、食べているのも楽しかった。でも本当は寂しくて、孤独でした。当時のサバンナは、日本で唯一“本当の私”を知る存在だったのに、どういうわけか“J.T.そのもの”になってしまった。作ったのは私だけど、できあがった作品は独り歩きを始めた。子育てと同じです。

 ただ私がもう一回ここへ来たのは、説明をする責任があると思っているからです。そして、できれば日本で絶版になっている『サラ、いつわりの祈り』を復刊してほしくて。先日、『サラ、いつわりの祈り』の翻訳者・金原瑞人さんにお会いしました。彼は全然怒っていなかった上に、「この作品は傑作です」と言ってくださった。彼にそう言っていただけるのは光栄です。私は、作品に生きてほしいんです。私が死んでも作品は残ってほしい。それが望みです。

この記事が気に入ったら「いいね!」をお願いします