『五島慶太の追想』(五島慶太伝記編集委員会)より

 三越の買収画策に失敗した五島慶太(ごうとうけいた)の野望はまだまだ終わりません。さらに私鉄の買い占めを進めていきますが、それでも満足せず、とうとう東京地下鉄の買い占めに乗り出します。それでも終わらない五島の企業買収はいったいどこへ向かおうとしていたのでしょうか? 市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。


  私鉄買い占めに飽き足らず、東京地下鉄に手を出す

 五島慶太は三越の買い占めに失敗するが、私鉄の買い占めは着々と進んでいく。第2次大戦中には、堤康次郎の西武鉄道、根津嘉一郎の東武鉄道を除けば、首都圏の地上の私鉄はことごとく五島の傘下に入る。「鉄道王」と称されるに至るが、五島の野望はまだ満たされない。五島は地下鉄に照準を合わせた。

 地下鉄は1927(昭和2)年12月、上野と雷門(浅草)間で開通したのち、漸次路線を延伸していった。その中心人物は東京地下鉄の専務、早川徳次である。五島はみずから東京高速鉄道を設立するとともに紆余曲折の末、早川の東京地下鉄の買収に乗り出す。

 五島は市場で株を買い集めると同時に大口株主を次々と口説いて株を取得していった。特に、45万株を保有する穴水熊雄の持株を買い取ったことで山は大きく動いた。3年掛かりで東京地下鉄株の過半数を取得した。それに要した金は2350万円に達した。この時株集めに奔走した倉沢嘉耕治・明和証券社長が証言する。

 「私のほうは長期と現物と両方やりました。26~27万株になりましたが、それを書き換えてこいというので東京地下鉄に行くと、どこの株だという。株主になるんだから書き換えてくれ、というと早川氏もビックリ仰天しましたよ」



  

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