大阪の国有地の払い下げに端を発した学校法人「森友学園」の問題で、「忖度(そんたく)」という言葉が注目を集めました。

 日本社会独特の言葉とも言われますが、多数の建築と文学に関する著書で知られる建築家で名古屋工業大学名誉教授、若山滋氏は、背景に日本独特の住居空間から育った家文化がある、と考えます。また、閣僚周辺の相次ぐ不祥事や文科省天下り問題、東芝の経営悪化などから、現代日本に「忖度」の弊害がみえる、と指摘します。

 「忖度」を生んだ行動様式と、現代日本にはびこる「忖度」の問題を若山氏が執筆します。

“空気”より厄介? 森友学園問題で注目を浴びた「忖度」という言葉の威力

「和」が尊ばれた島国 ── 欧米と性格が異なる民主主義

2016年8月、就任会見時の今村前復興相。26日に失言から大臣職を辞任しました。日本文化の「忖度」の弊害は政治家人事や官僚の天下りにもみられるのでしょうか(写真:ロイター/アフロ)

 アルバート・アインシュタインも、スティーブ・ジョブズも、かなりの変人であった。筆者もこんな変人に憧れているのだが、なかなか成り切れない。

 しかし迷惑な変人もいる。このところマスコミを騒がせてきた某学園の前理事長はその一人だろう。

 一躍、世に広がったのは「忖度」という言葉である。
首相夫人が名誉校長になっていたことから、学校の認可や国有地払い下げにかかわる官僚に、安倍首相への忖度があったかどうかが問題となっているのだ。

 しかし忖度とは「他人の心をおしはかること」であり、本来悪い意味ではない。むしろこの国の古き良き習慣であり美徳でもあった。現代でも、それが政治的な問題となるべきものかどうかは判断が分かれるところだ。明確な物事の依頼でもなければ、犯罪としての受託収賄でもない。勝手に忖度したものを、された方の罪にするわけにもいかないのではないかと思われる。

 とはいえ、西欧から始まった市民社会の論理としては理解されにくいものでもあり、見方によっては、日本社会が抱える一つの弊害でもある。

 近代的な法治国家は、言語化された個人の意思を基本にした「明言と契約」の社会であるが、日本は長いあいだ、言葉にしなくても想いが通じ、契約がなくても習慣的な約束が履行される「伝心と黙約」の社会であった。同じ民主主義でも、異民族異文化が衝突する欧米と、「和」が尊ばれた島国では、その性格が異なるのだ。

 つまり忖度とは、この国の文化に深く根ざした人間関係の表れなのである。そうであれば、日本の伝統的な住まい=家との関係を考えてみてもいいような気がする。

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