明治時代中期の「竹細工行商人」写真(筆者所蔵)

 カタログやネット通販の普及も活況ですが、なくなりそうでなくならないのが移動販売です。個人店が営んでいたり、フランチャイズ展開がなされていたり、取扱い商品や形態はさまざまです。そんな移動販売の元祖といえば行商です。

 時代劇でよくみる棒の先についた桶に商品を入れて売り歩く江戸の行商から、明治中期頃は写真のようなより多くの商品を荷車に載せる行商スタイルへは、どのように発展していったのでしょうか? 当時の貴重な資料である彩色古写真から見える、行商人の商売の様子や庶民の暮らしについて、大阪学院大学経済学部教授 森田健司さんが解説します。

【連載】古写真で知る幕末・明治の日本

町に溢れていた行商人

 今の日本は、とにかく便利である。買い物をするにしても、そのほとんどをネットショッピングで済ませることさえできる。スマホやパソコンで画像を見て、欲しいものをクリックすれば、宅配業者が自宅の玄関まで商品を運んでくれるわけである。ものぐさにとって、極上のサービスだ。

 それに対して、江戸時代はどうだったのだろう。きっと、買い物は大変だったに違いない。このように考えてしまいがちだが、実はそうでもないのである。それどころか、もしかしたら今よりもっと「便利」と言ってもよいかも知れない。

 その秘密は、江戸時代に町に溢れていた行商人にある。彼らは魚や野菜などの生鮮食品から、重量のある什器に至るまで、様々な商品を取り扱う専門業者たちだった。だから、毎食の買い物はもちろん、日用品でも家財道具でも、自宅の目の前で購入することができたのである。商品を天秤棒で担ぎ、声を出して売り歩く彼らは、「棒手振り(ぼてふり)」と呼ばれた。棒手振りは許可制で、幕府公認の仕事でもあった。

 この棒手振りたちは、明治に入っても元気に活動していた。ただし、少しずつ見た目が変わっていく。肩に天秤棒を担ぐものから、大きな二輪の荷車「大八車(だいはちぐるま)」に商品を載せるスタイルに移行したのである。大八車自体は江戸時代前期から存在したが、個人の行商人が普通に利用し始めたのは、明治の中期頃からと言われる。この背景には、人力車の普及によって道幅が広げられ、整備されたことがある。

 はじめに掲載した写真は、大八車を利用する行商人の姿を撮影したものである。驚くべきは、その商品の数である。まさに、店ごと移動している感がある。

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