終戦の日の15日、長野市で「玉音放送と戦争体験を聞く集い」があり、戦争体験者が戦争の実態を語り、平和への願いを訴えました。ラジオで昭和20(1945)年8月15日に放送された昭和天皇の終戦の詔書「玉音放送」も再生してその意味を考え、「この詔書は民主主義による国の再建への一歩」などと話し合っていました。

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シベリア抑留「毎日のように仲間死んでいった」

[写真]戦争体験を語る市民たち

 集いは長野市の「自分史を語り継ぐ会」事務局の細川順子さんの呼び掛けで毎年開き、今年で10回目。この日は戦争を体験した市民6人と聴講の市民ら70人が参加。恒例の「玉音放送」を聞くことから始まり、参加者は文章になった「終戦ノ詔書」を目で追いながらその意味をつかみ取ろうとしました。

 司会役の細川さんは「詔書は、終戦の宣言と戦争の経過を述べ、戦争終結に至ったことへの天皇の考えに触れ、最後はこの事態を受けて誤った行動を起こさず、国民が団結して再建に取り組もうと訴えている」と解説。「この詔書を民主主義への第一歩が始まったものとして読み取ってほしい」と話しました。

 戦争体験の紹介ではシベリア抑留を経験した坂田雪男さん(93)が「ソ連軍の侵攻を阻止するにも武器もなく何の抵抗もできない状況だった。そこで爆弾を抱えて戦車に飛び込む訓練をしたが、ソ連軍とは遭遇できず生き延びた」。

 しかしその後、酷寒のシベリアに抑留され「仲間の日本兵が毎日のように死んでいった」。硬く凍り付いた日本兵の遺体が多数、投げ込むように運び込まれ、「他の仲間が凍り付いた大地を苦労して掘り、埋葬した」。「現地で眠っている仲間を一刻も早く帰国させてほしい。シベリアに埋葬してきた人たちの親族の気持ちを考えると切ない気持ちだ」と坂田さんは訴えました。

引き揚げの逃避行「路傍の草にまでかじりついた」

 ソ連軍の侵攻で小学2年生のときに引き揚げの逃避行を経験した岡田雅子さん(79)は「ある日突然、金髪、青い目のソ連兵が家に入り込み、時計や現金を強奪。泣き叫ぶ子どもや女性に銃を突きつけて脅した。ソ連兵の強奪と“女狩り”はひどく、近くで女性が連れ去られたという話も聞いた。女性たちは顔に墨を塗って女であることを隠そうとした」。

 帰国のための列車に乗ったが、「屋根のない貨車で小さな子供が圧迫死した。食べるものもなく乳幼児を抱えた母親は悲惨だった。途中で停車するとコーリャン畑に駆け込んで作物を口に入れ、路傍の草にまでかじりついた」と岡田さん。

 戦後に中国や米軍の支援も受けて引き揚げ船が多くの日本人を帰還させた中国遼寧省の葫蘆島(ころとう)からやっと乗船したが、「乗船した大きな船から海に飛び込む人もいました」と、想像を超える苦難の道のりを語りました。

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