南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊の日報問題をめぐり、稲田朋美氏が先月辞任しました。国会では、日報を非公表とした判断に稲田氏が関与したのかなどについて閉会中審査が行われました。しかし、現在の日報問題は本質的な議論とは違うものになっていると、元航空自衛隊幹部の数多久遠氏は指摘します。数多氏に寄稿してもらいました。

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[写真]稲田朋美防衛相が辞任したPKO日報問題。この問題の本質はすり替えられてしまった(ロイター/アフロ)

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 内閣改造直前の先月28日、稲田氏は防衛相の職を辞しました。稲田氏のさまざまな失言もあったとされますが、「PKO日報問題」が、辞職と内閣改造の引き金の一つになったことは間違いないでしょう。

 日報問題に関しては、防衛省の体質やシビリアンコントロールについて、さまざまに報じられましたが、元自衛官として違和感を感じる部分も少なくありません。それは、私が元自衛官として、世間一般とは異なる目を持っているからかもしれません。そこで、元自衛官目線から見たPKO日報問題について書いてみたいと思います。

PKO法成立から四半世紀 “違法”だった南スーダン派遣

 PKO日報問題は、防衛省・自衛隊の隠蔽体質を示すものとして問題視され、稲田氏辞任の主要因となりました。しかし、この問題は途中で本質から大きく外れてしまっています。南スーダンへのPKO派遣に反対していた元自衛官としては、このすり替わりを、半ば呆れながら見ていました。

 防衛省が発表した特別防衛監察の結果を見ると、日報問題の端緒は、2016年7月から9月にかけて、陸上自衛隊と防衛省内局の一部で行われたとされる日報の隠蔽だったことが分かります。

 この時の隠蔽において、防衛相や陸上幕僚長が関与していなかったという観察結果に対しては、疑問を持つ方もいると思います。しかし、自衛隊という組織の姿を知る立場としては、この時の隠蔽には、防衛相や陸幕長の関与はなかっただろうと思います。まだ問題が大きくはなっておらず、こんな些末なことまで大臣や陸幕長まで報告していたら、彼らの身がいくつあっても足りないと思われるからです。ただし、10月以降の隠蔽に関しては、私も疑問を持っています。

 昨年2016年の7月、南スーダンで発生していた政府軍と反政府勢力の衝突が、陸自が派遣されていた首都ジュバにも及びました。衝突が首都にも及ぶということは、再び内戦状態に戻ったと言っても過言ではない状態です。

 このため、当時の問題は「南スーダンでのPKO活動は違法(状態)になったのではないか?」という点にありました。

 問題の日報には、ジュバ市内において「戦闘が生起した」と記されているだけでなく、「市内での突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要」と書かれていたとされます。この日報を含む資料を開示請求したジャーナリストたちは、防衛省・自衛隊が、違法状態を認識したことを示す文書が存在するかもしれないと考え、文書公開請求をしたのでしょう。

 PKO活動が違法(状態)となるのは、派遣当初はクリアできていた「PKO派遣五原則」が崩れるためです。

PKO参加五原則は、次の通りです。

(1)紛争当事者の間で停戦合意が成立していること
(2)当該平和維持隊が活動する地域の属する国を含む紛争当事者が当該平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること
(3)当該平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること
(4)上記の基本方針のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は、撤収することが出来ること
(5)武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること

 今回の日報問題において、問題となるのは、この五原則の中の(1)と(4)です。

 首都ジュバにおいて政府軍と反政府軍の戦闘が生起したのなら、停戦合意が破られた状態と言え、(1)に違反します。その場合、(4)によって自衛隊部隊は撤収できるはずです。

 しかし、このPKO協力法が成立した1992年の国会審議でさえ、派遣された部隊を途中で撤収させることが可能なのかという議論がありました。

 物理的に可能かどうかだけでなく、危険な場所であるが故に、軍事組織が派遣されているにもかかわらず、危険だからという理由で事実上の軍隊である自衛隊を撤収させることが政治的に可能なのか、あるいは妥当なのか、という議論です。

 その1992年から何と25年、四半世紀も経過しているにも関わらず、問題を内在したまま、この五原則は変わってはいません。

 その後、現地の情勢が落ち着きを取り戻したこともあり、政府は南スーダンにおいても、五原則は崩れていないとする立場をとり続けました。しかし、私はそれ以降も崩れていたと考えていますし、政府の言う通り、派遣の維持は間違いなかったと考える人は少ないでしょう。

 このことが日報問題の本質であり、隠蔽が行われた原因となりました。