ジャズ評論家の青木和富さんのコラム第4夜をお届けします。ジャズはその後ニューオリンズから、北へ北へと進路を取り、範囲を広げていきます。その後押しとなったのが、1917年に施行された、とてもユニークな法律でした。そして、ジャズの発展にはさまざまな要因と素晴らしい音楽と演奏があってこそ。ルイ・アームストロング(1901-1971)こと、サッチモはいよいよ、シカゴへ、ニューヨークへと進出します。※【連載】青木和富の「今夜はJAZZになれ!」は、毎週土曜日更新予定です。

【連載】青木和富の「今夜はJAZZになれ!」

ジャズを広めるも、あの人に比べれば存在感薄かったポール・ホワイトマン

ポール・ホワイトマン(Radio Stars, February 1934)

 伝説の人バディ・ボールデン(1877-1931)の演奏をジャズと呼んでいたかは分からないけど、ボールデンが姿を消してから10年後の1917年にニック・ラロッカ(1889-1961)が最初のジャズ・レコードを録音した頃には、ジャズという言葉が、ある程度広まっていたことは間違いない。言葉は強いもので、一旦定着すると、言葉は一人歩きする。

 1920年代にアメリカ西海岸からポール・ホワイトマン(1890-1967)というダンス・バンドのリーダーがニューヨークにやってきた。元々海軍でオーケストラを率いた人だが、ジャズ風な演奏が好きで、そうした活動が人気を得て、その後「キング・オブ・ジャズ」と呼ばれる存在となった。1924年にはジョージ・ガーシュウィン(1898-1937)の最初の傑作「ラプソディー・イン・ブルー」がこのオーケストラで初演された。

 また、有名なジャズ・ミュージシャンを招いて共演することも多かった。とはいえ、今日、ジャズの歴史の中で、ホワイトマンはほとんど忘れられている。確かにジャズを広めたが、同時代に様々な革新を行ったサッチモと比べると、音楽家としての存在感が薄いのだ。一方、ホワイトマンは、白人シンガーの大御所ビング・クロスビーをデビューさせたり、たくさんのスタンダード・ソングをヒットさせ、20世紀のアメリカのポップ・ミュージックの流れを作ったことは確かだ。まだ、人種差別がしっかりあった時代なので、そうした白人優先の時代を反映した存在と見てもいいだろう。

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