1917年、第1次世界大戦後、ミュージシャンは北へ向かう

 ところで、ここでこの時代を、アメリカの歴史の中でみると、もう少しイメージがはっきりするかもしれない。1917年の最初のジャズ録音は、アメリカが第1次世界大戦に参戦し、多くの犠牲を払い、翌年に終戦を迎えた。また、同じころニューオリンズの紅灯街が海軍の命で閉鎖され、その結果、ミュージシャンたちが新しい職場を求めて北部の都市に向かったとされている。

 むろん、紅灯街の閉鎖がミュージシャンの移動を促した主因とするのは大げさで、急速に工業化した北部に労働力が集まり、経済の中心も北部の大都市に集中したからだろう。芸能はこうした人間的な賑わいの中で発展する。それを加速化させるレコードやラジオなどの新技術も助けになったことは前にも書いたが、もう一つ、この時代ならではのとてもユニークとしかいいようのない法律がアメリカで施行された。

ジャズの発展を後押した、あのユニークな法律

 禁酒法がアメリカの上院に提出されたのは、これも1917年で、成立したのが2年後、そして実際に施行されたのが翌年1920年1月である。この法律が廃止されたのが1933年だから、実に13年続いたのだが、その廃止の大きな理由は、この法律で国民の飲酒量が減ったわけではなく、むしろ、増えたからというのだから面白い。闇の酒が跋扈し、それで巨万の富を得たシカゴのアル・カポネ(1899-1947)のようなギャングが、様々な犯罪に手を染め、良い社会を作るための法律が、むしろ、悪を蔓延らせることになったのである。

 そして、こうした社会で、着実に発展を遂げたのがジャズであった。別にジャズが反社会的な音楽ということではない。そうした社会で煩悶する人間が求める自由な息抜きとか、抑圧に対する静かな抵抗といったものが、様々に人間の想像力を働かせ、新しい世界を作っていく。これが芸能、エンタテインメントの面白さで、むしろ、混乱期こそ、人間はそうしたエネルギーを爆発させるのかもしれない。

やんちゃな創造力が爆発 サッチモがシカゴ、ニューヨークにやって来た

 サッチモがシカゴ、そして、ニューヨークにやってきた当初は、やはりキング・オリバー(1885-1938)に倣ったそれまでのニューオリンズ・スタイルの演奏をしていたが、1920年代の後期になって、いよいよその本領が発揮される。トランペットの演奏スタイルも変わっていったが、グループの表現も新しくなった。ジャズ・ピアノの父と言われるアール・ハインズ(1903-1983)を擁した当時のグループは、「ウエストエンド・ブルース」を代表にサッチモの古典的傑作が並ぶ。

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