20世紀は産業や社会インフラの発展に伴い世界人口が伸び、エネルギーの需要は急拡大した。欧米を中心に人々が豊かな生活を送れるようになった一方、国家を支える資源や食糧、それらを供給する領土をにらみ、植民地支配をめぐる争いが世界中で続いた。

日本のエネルギーのあり方とは? エネルギー小国日本の選択

 日本は清朝の中国、ロシアとの戦争に勝利したが、富国強兵の理想に近づこうと一層の軍備拡張に走った。造船や製鉄の需要は高まる一方で、エネルギー供給の不足感は強まっていった。

 1931年の満州事変を発端として国際社会との関係が急速に悪化した日本は、日中戦争へと進み、さらなるエネルギーの需要増に直面することとなる。ただ、軍艦などの燃料となる石油の調達先はアメリカをはじめ海外に頼らざるを得なかった。そのアメリカに石油の補給路を断たれる中、太平洋戦争へと突き進んでいった。

急増するエネルギー需要

 明治から昭和初期にかけ、軍備拡張は交通網の整備、とりわけ鉄道の敷設を後押しした。鉄道は軍事工場と主要な都市や港をつなぎ、製品の搬出入や、従業員の移動、食糧などの輸送の手段として活躍した。

 鉄道の発達は、1882年に東京・新橋ー日本橋間を結んだ東京馬車鉄道から始まった。1895年には水力発電を利用した京都電気鉄道が、現在の京都駅近くに路面電車を開通させた例もあった。

 蒸気機関車による鉄道網も整っていった。ただ、燃料が石炭で煙や火の粉が出る場合もあり、住宅や商店などが建ち並ぶ地域への乗り入れには適さなかった。そのため、都市部では架線を配した路面電車などが主流となっていった。

 当然、そのための電力や資機材の製造が必要となり、電力消費は膨らんでいった。

 蒸気機関車の燃料となる石炭は、官営八幡製鐵所などでも大量に使われ、製鉄業の発展に大きく寄与した。石炭資源は国内に広く分布し、炭鉱開発が進んだ。北海道の石狩炭田や福岡県の筑豊炭田が有名だ。

 明治初期の1870年代には国内の石炭生産量は50万トン、消費量36万トンだったのに対し、明治末期の1911年には生産量1762万トン、消費量1474万トンまで拡大した。なお、太平洋戦争後の最盛期には800以上の炭鉱が栄え、現代も北海道で細々と生産が続き、その歴史を語り継いでいる。

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