仏壇のジョラ(ロウソク)に火をつける女性=シリンゴル盟・ジューグンウジュムチン・ホショー(2012年7月撮影)

 日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。

 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。

 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。


【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第3回

朝早くから準備が始まっている=シリンゴル盟・ジューグンウジュムチン・ホショー(2012年7月撮影)

 モンゴルのオボーというのはシャーマニズムから起源し、その後、仏教がモンゴルに普及することによって、仏教の要素が多く含まれるようになってきた。

 祭りを執り行うのが、ラマであり、チベット仏教のお経を唱える。モンゴルでは山や川にはそれぞれの神様が宿っていると考えられている。オボーを時計周りに3周し、チーズや馬乳酒などを捧げながら、石を1個納め、雨乞いをしたり、家族の健康や幸福または家畜の繁殖などをお願いしたりする。

内モンゴル自治区の地図

 2012年に私はジューグン・ウジュムチン・ホショーのサーメ・ソムにあるハダン・オボー祭りに参加することができた。シリンホト市からバスと乗合タクシーを利用し、6時間以上かかる道のりだった。

 ここはモンゴル国との国境に近いところである。私がお邪魔した遊牧民のスルゲルンさんの家からモンゴル国の山々がはっきり見える。国境までわずか7キロであり、本人が言うには、彼は国境から一番近い遊牧民らしい。

 私が到着した翌日の朝2時半には起きて、スルゲルンさんとバイクで20キロ先のオボーへ出発した。

 3時すぎにハダン・オボーに着いた。5つのゲルが立っていた。ここでは、毎年、オボー祭りを担当する家族を、前年のオボー祭りの際に決める。そして、その家族はオボー祭り一週間前にオボーの近くにゲルを立て、準備を始める。主に祭り用の羊などを準備したり、祭りにくる遊牧民の受け入れ、寝泊まり、食事等を担当する。

 このハダン・オボーが建っている場所には昔、ハダン・スムというお寺があったが、すでに破壊され、その跡は一切残されていない。(つづく)

※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮るーアラタンホヤガ第3回」の一部を抜粋しました。


アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA)
1977年 内モンゴル生まれ
2001年 来日
2013年 日本写真芸術専門学校卒業
国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。
主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。

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