“体重約90Kg以上”の女性シンガー、と音楽誌で大絶賛

ベッシ―・スミス(Carl Van Vechten, restored by Adam Cuerden)

 今では驚くべきことだが、ハモンドは、この前年に、21歳という若さでコロンビア・レコードのプロデューサーとしてデビューしている。録音したのは、彼のお気に入りの作編曲者フレッチャー・ヘンダーソンのバンドと、当時すでに友達だったベニー・グッドマンなどで、とくにグッドマンのコレードが成功し、その勢いでビリーの初録音が実現された。結果的には、このレコードの売り上げは散々だったが、しかし、このセッションは、グッドマンにとって初めての白人、黒人の混合バンドの録音として歴史に刻まれている。参加者は白人の方が多く、ビリーは、初録音ということもあり、かなり緊張し、うまく歌えなかったと後に振り返っている。

 ところで、先ほどのハモンドが書いた初めてのビリーの紹介文で、今の感覚では、ちょっと異様な印象があるのは、彼女の体重をどこか喜々として書き込んでいるところだろう。メートル法に換算すると、ホリデイは約90kg以上もあるのだぞ!、ということだ。ここには、ハモンドが黒人ボーカルに魅了された原点のようなものがある。ハモンドが最高のシンガーと呼ぶのは、ブルースのベッシー・スミス(1894-1937)だった。その豊かな肉体から発する圧倒的にエネルギッシュなボーカルこそ、ハモンドにとって黒人音楽の宝と呼ぶものだった。ハモンドは、このベッシー・スミスも録音している。すでに盛時を過ぎた時代だが、地方でくすぶっていたベッシーを根気よく説き伏せ、録音を実現している。

 いつの頃からか、ビリー・ホリデイは、「レディ・シングス・ザ・ブルース」という標語で、ブルースが得意なシンガーと勘違いしているファンがいるが、実際にはほとんどブルースは歌っていない。ハモンドが言うように、ビリーの魅力は、当時の流行歌を小粋なノリで、微妙にメロディーを変化させながらその魅力を引き出す天性のジャズ・シンガーと呼ぶべきものでだった。しかしそれでもハモンドは、そんなビリーだが、いざとなった大向こうをうならせる声を発することのできるシンガーなのだとも言っている。黒人音楽に魅せられたその原点は変わらないということだ。

 余談だが、そうした楽器と対抗するように声量で押す歌唱は、かつては歌手評価の絶対的な基準だったが、マイクが発達してからは、囁くような声で微妙な表現を駆使する世界に変化し、歌手の能力、魅力の評価基準も、時代と共に大きき変わっていったのである。

 ジョン・ハモンドは、このビリー・ホリデイに始まり、この後次々と20世紀の音楽の歴史に残るビッグ・タレントを発見し育てていく。ハモンドが他界したのは、1987年だった。その最後に耳にしていたのは、ビリー・ホリデイだったと伝えられている。この約半世紀の華やかな出来事は、多分、ハモンドにとって一瞬の出来事だったのだろう。

(文・青木和富)

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