日本人として初めて10秒の壁を突破した桐生(写真:アフロスポーツ)

日本人スプリンターが速報タイムを「9.99」で止めたのは、バンコク・アジア大会(1998年12月)の伊東浩司以来。そのときの公式タイムは「10.00」だったが、今回は「9.98」に変わり、福井県営陸上競技場につめかけた8000人の観衆から地鳴りのような大歓声がこだました。

 速報タイムが「9.99」でストップしたとき、筆者は本当に脚が震えた。歴史的瞬間を目撃したという喜びと、まさか出るなんて、という驚き。レース後に聞くと、桐生祥秀(東洋大)はタイムを気にしていなかったし、土江寛裕コーチも「今回は記録を出す準備ができていなかった」という。

 そういう意味では、今回の9秒台は「出てしまった記録」といえるかもしれない。それは、2013年4月29日の織田記念で当時17歳の桐生が10秒01をマークしたときと同じだ。しかし、4年前は何の前触れもないままに出た好タイムだったが、今回は9秒台を出すための下地は十分にあった。

 学生日本一を決める日本インカレは、ロンドン世界選手権で銅メダルを獲得した男子4×100mリレーメンバーの桐生と多田修平(関西学大)が激突。ふたりがレースを終えるごとにフラッシュインタビューの場が設けられるなど、その注目度は高く、予選から異様な盛り上がりだった。

そして、ホームストレートにはさわやかな風がゴールに向かって吹いていた。
「桐生君の動きを見て、このタイミングで出さないと9秒台は永遠に出ないのかなというくらい条件が整っていました」と日本陸連の伊東浩司強化委員長が言うほどスタジアムの雰囲気は素晴らしかった。

 しかし主役のふたりはともに万全な状態ではなかった。多田は世界選手権、ユニバーシアードの疲労が残っており、桐生は世界選手権で痛めた左ハムストリングに不安を抱えていたからだ。桐生に関しては、200m予選を走った後に、「100m決勝は出場するのかわかりません」と話すほど、慎重に脚の状態を確認していた。

 ロンドンから帰国した桐生は、スピード練習ができずに、スパイクを履いたのは予選の前日だった。
 その間、250m走を中心に行い、日本インカレでは、「中盤から後半」を意識したレースを組み立ててきた。土江コーチも「正直、記録がでるようなプロセスではなかった」と話す。予選、準決勝の走りを見ても、絶好時の勢いは感じられなかったが、決勝では日本選手権で先着された多田との対決になり、「魂で走るタイプ」(土江コーチ)の桐生が豹変する。

「今回は多田君というライバルがいて、ここで負けたら負け癖がつく。出るからにはケガをしてもいいくらいの気持ちで序盤から飛ばしていきました」と桐生。
 前半はスタートが得意な多田にリードを許すも、中盤からの加速でグッと伸びる。80m付近で前に出て、3連覇を達成すると、9秒台でフィニッシュラインに駆け込んだ。

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