アメリカ合衆国 ニューヨーク市(写真:アフロ)

 1960年代後半、ウォール街の米国証券会社に直接雇用される日本人は珍しかったといいます。1973年代に、著者が勤務していたバーナム・アンド・カンパニーが伝統的あるドレクセルと合併し、ドレクセル・バーナムと名前を変えます。

 今回は第2次世界大戦終戦からベトナム戦争、そして飽和状態にあった米国は証券不況時代へと向かい、ウォール街の業界再編成によって注目されたのは「日本」でした。

【連載】ウォール街回想記

第2次世界大戦がもたらした経済効果

 第2次世界大戦は米国の本格的な不況脱出を可能にしました。1928年に発生した世界恐慌後、1933年に誕生したルーズベルト政権は、公共投資を主体とし、ケインズ経済理論を初めて取り入れたニューディール政策(新規まき直し政策)を実行に移しました。政策は功を奏し不況脱出に成功しました。

 そうは言うものの、米国の第2次世界大戦参入時点での経済体制は、遊休資源を多く抱えたまま本格的な戦時体制に入ったため、軍需産業が一気に開花し、米国の凄まじい軍事力を発揮してはいたのです。

 軍事産業への動員の結果、完全雇用経済に達した時点で終戦を迎え、抑制されていた民需はその後民間産業の繁栄をもたらしました。戦後世界体制パックスアメリカ―ナの門出です。米国株式市場は1942年に底入れし、その後は大きな中断なしに1965年まで、過去最長のブルマーケット時代を謳歌しました。その間ダウ工業平均株価は99ドルから970ドル近辺まで、ほぼ10倍の上昇を記録しました。その後は1983年にダウ平均が1000ドル台を固めるまで17年間の年月を要しています。

1960年代の株式バブル

 1960年代米国はベトナム戦争の泥沼に入り込み、同時に経済繁栄を背景に、ジョンソン政権下「偉大なる社会 ーThe Great Society」標榜のもと黒人解放の市民権運動、社会福祉等、軍艦とバターを追求する拡大政策の疲弊が生じ、戦後体制は終止符を打ったのです。

 株式バブルには例外なく無謀な投機がつきものです。1960年代はゴーゴー時代と称され、個人投資家の投機を煽る株式投信が膨張し、同時にそれまでは保守的な運用に従事してきた保険、年金、信託などの機関投資家もこぞって市場バブルに参入しました。機関投資家の本格参入で、それ以降は、ウォール街業者は調査を含めて、機関投資家サービス事業に本格的に取り組むこととなりました。