富士山信仰のべースキャンプとも言える山梨県富士吉田市の上吉田(かみよしだ)地区。富士急「富士山駅」近くに建つ金鳥居から北口本宮冨士浅間神社に向かう通りには、紙垂(しで)が下がっている門柱をあちこちで見かける。毘沙門屋、大黒屋などと書かれた提灯が下がっている石門もある。門柱をくぐるとタツミチと呼ばれる細い道が続き、その先に中門がある。異空間に導かれるように中門を入るとヤーナ川と呼ばれる水路があり、水路には小さな滝がつくられている。そして、ヤーナ川の向こうに木造の屋敷が建っていた。御師(おし)の家だ。

富士山の水で身を清め

 御師とは御祈祷師の御と師だという。御師は祈祷によって寺院や神社に参詣する人々と神仏の仲立ちをする宗教者、そして参詣者に案内や宿泊の世話をする世話人のような存在でもあるようだ。

 熊野や出雲など日本各地の巡礼地に御師は存在し、伊勢では「おんし」と呼ぶという。上吉田には、江戸時代に86軒もの御師の家があり、富士講信者らが富士山に登拝する前の宿泊所として利用して賑わった。遠方から到着した富士講信者は、屋敷に入る前にまずヤーナ川の小さな滝で身を清める。上吉田地区の地層は溶岩でできているため地下水が掘れず、富士山の雪解け水の湧水池の忍野八海などから用水をひいているという。

 このためヤーナ川の水で清めることは、富士山の水で身を清めることを意味し、それゆえに御師の家に到着すると信者はまず水垢離(みずごり)を行った。

今も富士講信者が登拝前に寝泊りする御師の家「筒屋」

 信者は、御師の家で祈祷を受けて一夜を過ごし、翌日、浅間神社へ参拝をして富士山に登るのが通例だったといわれる。富士講信者がつくる地域ごとのグループを講社や講中というが、御師は特定の講社や講中と結びつき、夏の期間は信者を迎え入れ、登拝の期間が過ぎると、各地の富士講信者の家々を訪ね、講社、講中、信者と深い関係を維持した。

 今も富士講信者を受け入れている「筒屋」(づづや)を訪ねた。屋号の筒屋は、数珠屋からきていると言われ、今の御師は20代目。450年前の元亀年間(1570年)にはすでに現屋敷に家屋があることが確認されており、一部が改築されているものの当時の家屋を今も残しているという。タツミチを通って中門をくぐり、ヤーナ川を越えて玄関をたたくと浅間神社で神職を務めている20代目御師、小澤(こざわ)輝展さんの母、小澤恵美子さんが迎えてくれた。