フランク・シナトラ(from the trailer for the film Pal Joey, 1957)

 ジャズ評論家の青木和富さんのコラム第7夜をお届けします。ベニー・グッドマンの人気ぶりは、単なるダンスの伴奏と思われていたバンドの音楽的な地位向上に大きく貢献しました。次々と生まれるビッグ・バンドに欠かせないのは魅力的な歌手の存在。多くのスター歌手が生まれたこの時代、夢中になれる音楽とともに人々は踊り明かすのでした。※【連載】青木和富の「今夜はJAZZになれ!」は、毎週土曜日更新予定です。

【連載】青木和富の「今夜はJAZZになれ!」

ビッグ・バンドは、新時代の総合エンタテインメントだった

 1930年代後半のベニー・グッドマンの大ヒットは、ジャズがダンスの伴奏音楽ではなく、聴いて楽しい音楽という新しい時代を迎えたのは確かだが、むろん、だからといってダンスと切り離されたわけではない。グッドマンの成功により、次々と人気ビッグ・バンドが誕生したが、それらはダンス・バンドであり、そして、同時にヒット曲を放つ人気バンドでもあった。さらに、バンドには歌手がつきもので、フランク・シナトラは、1939年にハリー・ジェームス楽団で注目され、その後すぐにトミー・ドーシー楽団に移籍し、その人気が爆発した。女子学生に囲まれた当時のシナトラの持てはやされ方はすさまじく、初めてのアイドル・シンガーの誕生である。

 そんなわけで、当時のビッグ・バンドは、新時代の総合エンタテインメントと言っていいかもしれない。ポピュラー音楽という意味では、この時代の代表的な人気バンド、グレン・ミラー・オーケストラを忘れるわけにはいかない。自身が作曲したバンド・テーマの「ムーンライト・セレナーデ」を始め、たくさんのヒット曲は、現代まで親しまれ、今も再組織されたグレン・ミラー楽団は来日公演が続いている。もうひとり、ビリー・ホリデイをバンド・シンガーに迎えたアーティー・ショーを忘れるわけにはいかない。やはり、たくさんのヒット曲を残したが、その奔放な活動は、むしろ鬼才と言っていいのかもしれない。

「スイング」と「ジャズ」はどう違う? ダンス文化高揚期の到来

 ところで、こうした音楽を「スイング」と呼んだが、実のところ、ジャズと変わりはない。ジャズという言葉は、黒人をイメージさせるから、別の言葉を用意したというところだろう。何しろまだ人種差別の激しい時代なので、白人社会に自然に広がったこの音楽を抵抗なく受け入れるには、ちょっとした言葉のクッションが必要だったのだ。とはいえ、このスイングという言葉には、この音楽の魅力が的確にとらえられている。リズムに乗って、自然に身体が動くといった意味のスイングは、ジャズの大きな楽しさだ。デューク・エリントンの名曲に「スイングがなければ意味がない」という代表作があるが、これは1930年代の初頭に書かれたもので、ヒントは、ここらにあるのかもしれない。

 さて、このスイングは、ダンスの楽しさのベースにあるということも重要で、むしろこの当時のビッグ・バンド・ブームは、ダンス文化の高揚期でもあった。むろん、ダンスはこれ以前にも十分アメリカに広がっていて、ごく一般的に楽しまれている。というか、ダンスは、ジャズと共に20世紀のアメリカ文化の柱と言ってもいいに違いない重要なものだ。ダンスはヨーロッパで盛んで、アメリカには英国から入ってきた。これが20世紀に入ると、自然に黒人文化との融合を起こし、アメリカ流のダンス文化が急速に広がる。当然、ジャズがその傍らにあった。

 普通の黒人たちがどんな風にジャズとダンスを楽しんでいたかというと、当時流行っていたハウスレント・パーティーというのが有名だ。南部からやってきた貧しい黒人たちが、家賃をシェアするための仕組みのようなもので、パーティー代を徴収し、ピアノとピアニスト、そして簡単な料理も用意したり、持ち寄ったりして、パーティーを楽しむのである。当然そこには自由で気ままなダンスが生まれる。そんなパーティーには、有能で人気のあるピアニストもいただろうし、また、ダンスが得意で、それを人前で披露するプロも生まれたと想像するのも自然だろう。そして、そうした芸が、ハーレムの「コットン・クラブ」のようなところで白人たちを楽しませ、それを真似するようにして広がったと想像するのもまた同じことである。

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