映画『スウィング・ガールズ』と「シング、シング、シング」

 映画『スウィング・ガールズ』(2004)は、東北の田舎の女子高生が、ジャズ・バンドを結成し、最後に聴衆の前で演奏できるまでになるという話だが、そのハイライト・シーンで演奏されたのも、この曲だった。まったくの余談だが、この映画の興味深い点は、出演者の上野樹里、貫地谷しほり、本仮屋ユイカらもまた、それまで楽器の経験が全くなく、わずか2カ月の特訓と撮影期間1カ月を含め都合3カ月で、この映画のほとんどを作り上げたことにあるかもしれない。楽器に挑戦したことがある人は、信じられないに違いない。大概の人は、まず、音を出すのに苦労し、その段階でほとんどが挫折してしまうからである。それなのに彼女らは、3カ月でジャズ・アンサンブルを楽しみ、そして、ソロまでこなしてしまうのだから、驚きというか奇跡的と思うだろう。しかし、これは適切な指導とそれなりの労力を惜しまなければ、大概の入門者なら実現可能で、実はそれほど不思議なことではない。この映画のおかげで、その後、楽器の売り上げが上昇し、小、中、高校のブラス(ジャズ)・バンドの結成も盛んになった。ちなみに、現在このクラスの日本の実力は、ダントツ世界のトップにある。これも、「シング、シング、シング」のおかげかも知れない。

ハモンドが発掘したジャズ史を変えることになった2人

カウント・ベイシー。映画『リズム・アンド・ブルース・レビュー』(1955年)より

 話をジョン・ハモンドに戻す。この時代、ハモンドは、もう2人、ジャズ史に残る才能を発見している。一人は、カウント・ベイシーで、これは個人ではなくバンドと言うべきか。ただ、このベイシーの発見は、あまりに周辺に吹聴しすぎて、いざ、レコード契約しようとしたら、すでに他社に先を越されてしまったという失態を演じている。ベイシーの発見は、当時ハモンドの自家用車にはアメリカ中のラジオが聴ける高性能なラジオが設置されていて、あるとき、そのラジオがカンザスシティーのベイシー・バンドの放送をキャッチしたのだ。新しいベイシー・バンドの素晴らしさに驚いたハモンドは、そのまま車をカンザスシティーに向ければよかったのだが、その発見を吹聴したくなって、グッドマンらミュージシャンを次々車に連れ込んで聴かせることに夢中になってしまった。ま、世間はまだ知らないだろうと安心したのが間違いだった。噂はたちまち広がり、それがライバル会社の耳にも入り、先に契約されてしまったのである。

 ハモンドの回想録からすればそうなのだが、果たして真実は分からない。ハモンドは、自分の手柄を盛りすぎるという話もあるから、ちょっと割り引いて受け止めた方がいいのかもしれない。しかし、それでもハモンドが車載の高性能ラジオから聴こえたベイシー・バンドの驚きには嘘はない。そして、それを誰彼となく聴かせたがったのも、いかにもハモンドらしい。そして、最後にもっとも重要なのは、ベイシーのこのニュー・バンドの人気は、なによりもこうしたハモンドの熱烈な支持なしに生まれなかったのである。ハモンドには、当時それほどの「力」があった。1938年のこのグッドマンの歴史的なカーネギー・ホール・コンサートにも、ハモンドはベイシー・バンドの要のリズム・セクションとレスター・ヤングという後の世代に絶大な影響を与えた不思議なサックス奏者を舞台に招いている。

 さて、この時代、ハモンドは、ジャズ史に残る2人の才能を発見したと言ったけど、ではもう一人は誰かというと、その青年は、大きな帽子を被り、紫色のシャツを着て、黄色の靴を履いて現れたという。そして、ベイシーとこの青年は、結局、ハモンドをその後のジャズの主流から遠ざけた運命の人たちでもあった。

(文・青木和富)

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