「生きた化石」と呼ばれるシーラカンス。1938年に最初の個体が捕獲されるまで、このグループの魚は白亜紀末(6600万年前)までに全ての種が絶滅したと考えられていた。何億年に渡る生物進化の間、初期の形態をいまだに保ち続けるカギとは何だろうか。(写真提供:ロイターGeorge Mulala/アフロ )

 生命誕生は約40億年前。それから長い間、たくさんの生物が進化と絶滅を繰り返し、今日へ命のバトンをつないできました。その歩みの確かな証しが化石です。しかし中には、太古の昔から現代までその姿を大きく変えない「生きた化石」と呼ばれる生物がいます。

 では、いったいどんな生物が「生きた化石」と定義されているのでしょうか。古生物学者の池尻武仁博士(米国アラバマ自然史博物館客員研究員・アラバマ大地質科学部講師)が執筆します。


定義としての「生きた化石」

 「生きた化石」

 一化石研究者として、私はこのフレーズが気に入っている。何となく長大な生物史における神秘性というか、ミステリアスな響きがしないだろうか? 古生物・化石研究におけるオリジナリティーのようなものが ── 他の自然科学の分野と比べて ── 潜んでいるのかもしれない。遺伝子学における「分子時計」、物理学における「相対性理論」、ボクシングにおける「モハメッド・アリ」のような。

 この「生きた化石」(または「生きている化石」)という言葉を、以前、耳にした事のある読者の方は、かなり多いのではないかと察する。特に古生物について普段まるで興味を持たない方。日常の雑事に埋没し、長大な生物進化のストーリーの存在を忘れかけている方。最近の興味深い化石研究を見逃し続けた方(今からでもこちら を参照)。こうした読者の人達にとっても、「生きた化石」という言葉から、何かしら不思議なイメージを「感じとる」ことができるのではないだろうか?

 このフレーズには、もしかすると化石記録における「魔力」のようなものさえ秘められているかもしれない。今回はこの言葉をテーマに、化石記録におけるメッセージを読み取ってみたい。

 しかし「生きた化石」という言葉には、具体的にどのような意味が込められているのだろうか? サイエンス上、はっきりした定義でもあるのだろうか? 何か具体的な動植物(または生物)のイメージを思い浮かべることができる人はいるだろうか?

 生きた化石は英語で「living fossil」とつづる。Fossil(化石)の定義については以前に少しばかり触れた(こちら 参照)。太古の昔に生存した生物の痕(跡)とその記録をさす。何万年から何億年前のものもある。しかし「Living=生きている」とはどういうことか?

 もちろん岩石に閉じこめられた魚の骨格化石に、布をかぶせて「ビビデバビデブ」。呪文を唱えると、ゾンビのように息を吹き返し、水の中を再び泳ぎまわるわけではない。そのような事実は今のところ知られていないし、今後も起きないはずだ。映画「ジュラシック・パーク(1993年)」のように、太古のDNA復元をもとに、絶滅した生物種をこの世(=現世ではなく現代だ)によみがえらすことも(今のところ)できない。

 古生物学の教科書を紐解くと、「生きた化石」についての説明がたいていみつかる。(サイエンス的な用語として、現在、研究者にとっても広く認められている証拠だ。)定義を簡潔にまとめてみると、「太古の昔、化石記録において知られている生物グループからあまり変わらない体つきや形態、特徴などをいまだに持つ現世の生物グループ(及び種)」といえそうだ。

 平たく言うなら何千万年から何億年という時間を経ても、表面上、ほとんど大きな変化を見せない生物グループをさす。永遠不変にという理念は生物においても見られるようだ。百年以上も伝統を守る老舗の蕎麦屋の秘伝スープ(汁)のごとし。絶えず味を変える必要のある店は、まだ本物といえる味付けを模索中している最中だけなのかもしれない(あくまで仮のはなしだ)。生物進化においても、似たようなことがいえるかもしれない。

 「私の職場にも生きた化石のような人がいる」、そんな声があちこち聞こえてきそうだ(私のイマジネーションの中だけかもしれない)。比較的年配の、頑固で、融通のきかない、古いアイデアに凝り固まった例のあの人。そうした方を揶揄して「生きた化石」とあまり声を大きくして呼ばないようにして頂きたい。また、そう呼ばれないように(お互い気をつけたいものだ)。もちろんオリジナルの定義をはき違えた「意訳」というものだが。ここで今一度、はっきり定義を紹介し、あれこれ思索をめぐらしてみるのも悪くないだろう。

 「生きた化石」のコンセプトは、進化学・古生物学における「stasis」という用語と関連がある(注:同意語ではない)。直訳すると地質年代を通した進化上における「停滞」や「不変」の時期、及びその現象をさす。長い時代を通してほとんど変わることのない解剖学的特徴はたくさん見られる。例えば、(イカや蝶、魚を含む)動物の頭の数は、基本的に「一つ」だけだ。(首が三つある怪獣をあるゴジラの映画の中でみかけたようだが、これは想像の中の産物にすぎない。)四足動物の手足の数も決まっている ── 当然四肢だ。霊長類の手の指はもちろん5本だ。どうして4本や6本に進化しなかったのだろうか?

 こうした進化上の「停滞・不変」とみられる現象は、「遺伝子の仕組み」や地質年をまたいだ「長大な歴史」、そして「環境」などの要素が複雑にからんで起こる進化上の現象だ。例えばカエルやトカゲ、犬などの四足の構造は、肩や尻の関節や骨格の構造を根本から変えない限り、6本足や7本足にすることは、物理的に不可能だろう。

 しかし「生きた化石」の定義に込められた意味は、ただ(四足のように)体の限られた部分における進化の傾向(パターン)を示すというわけではない。私の解釈するところ、「生物の体全体」をさすようだ。いわゆるボディー・プラン(Body plan:体つき) ── 体全体の構造にあてはまるフレーズのようだ。そこには長大な時間 ── 時には何億年以上 ── を経た、生物進化の歴史と密接に関わっている事実が隠されている。