縄文土器には地域ブランドやデザインの交流があった――。16日から長野県立歴史館(同県千曲市)で始まった縄文土器展「進化する縄文土器」で、5000年前の縄文土器のデザインが地域によって異なり、互いに「コピー」を試みるなど交流があったことが紹介され、縄文ファンを喜ばせました。重要文化財を中心に人面や動物などを刻んだ各地の大きな土器も多数展示。「縄文エネルギー」に魅せられた県内外からの来館者でにぎわっています。

「流れる模様」と「区画模様」

[写真]御代田町・川原田遺跡出土の焼町式土器(重要文化財・御代田町浅間縄文ミュージアム蔵)

 同館で2回目となる縄文土器展は今回、縄文時代中期中葉初頭(約5400年前)から始まった装飾的な土器づくりが進化を遂げた中期中葉中頃(なかごろ、約5300~5100年前)に注目し、装飾の本格的な変化・発展、地域間の影響などを取り上げました。 

 新潟県考古学会の寺崎裕助会長と長野県立歴史館の寺内隆夫学芸員が、約100人の来館者を前に対談を交えながら解説。縄文中期は全国で土器の装飾が華やかになった時期で、今回は新潟、長野、富山、群馬などの地域の土器のデザインの変化を取り上げました。

 それによると、長野県では八ケ岳連峰を挟んで長野県東・北部では「流れる模様」が流行し、中・南部では諏訪から西関東にかけて四角っぽい区画を描いてつなげる「区画模様」が流行しました。「流れる模様」は長野県から北陸、新潟、群馬などに広がり、各地で発展。歴史館によると、長野県内では御代田町(みよたまち)の川原田(かわらだ)遺跡の焼町(やけまち)式土器は完成の域に達しています。

土偶をつけてみたら「これはいいぞ」

[写真]鋳物師屋遺跡出土のサルの土偶(重要文化財・南アルプス市ふるさと文化伝承館蔵)

 土器製作の発展はやがてよく知られる華やかな「火焔(かえん)型土器」へ大きく進化。寺内学芸員は「土器を作る人同士の交流で土器文化が花開いた。例えば最初は5センチぐらいの小さな土偶を土器に付けてみたが、これはいいぞという評価でだんだん取り付ける土偶が大きくなって20センチぐらいまでになる。土器を作るたびに装飾や土偶が変化して発展していった」と説明。長野、新潟、富山などの地域間の交流を通じ互いに土器を交換。「影響し合い、ほかの地域のデザインをまねして作ってみたりしたようだ」が、「まねした土器はあまり出来が良くない」とも。

 寺崎会長は、こうした装飾の発展は「華やかな火焔型土器の直前の様相を示しており、プレ火焔の時期と言っていい」と、火焔型土器の流行につながる重要な段階であると指摘。また、地域間の影響は限定的な場合があり、新潟では北陸や東北南部、長野などの影響が見られるものの、中越地域で見られる火焔型土器が上越地域では薄れていく傾向などを挙げました。

 寺内学芸員は「当時は土器が地域間を活発に動いている。人が動いている。交流を通じて土器作りの情報交換や模倣などが活発に行われたのではないか」と、縄文時代の地域間の密接な関係を指摘。一方で寺内会長は、「土器に地域性の違いも見てほしい。日本海側の“海の人”と長野などの“山の人”では作る土器に感覚の違いがあることが分かる」と話し、縄文土器が互いに交流しながらも独自色豊かに作られたことを指摘しました。

 展示会場には長野、新潟、群馬などの重要文化財19点を含む92点の土器などを展示。説明に当たった寺崎会長と寺内学芸員に来場者が「土器の使用目的は煮炊きですか」、「日常的に使っていたのですか」などと質問。寺崎さんらは「平たくて大きな鉢は食物を並べたようですが、火にかけたとも見られています」などと説明していました。

この記事が気に入ったら「いいね!」をお願いします