日本人はクルマが一台も通っていないにもかかわらず、赤信号を守るという話がネットで話題となっていました。国民気質の比較というのはありがちなテーマですが、この話は、そもそも「法」というものがなぜ存在しているのかという根源的なテーマにもつながっています。

ペイレスイメージズ/アフロ

 英国の科学誌に掲載された論文によると、赤信号でも車が来なければ信号を渡るという人の割合はフランスでは41.9%に達しましたが、日本ではわずか2.1%でした。

 確かに日本では赤信号であれば、クルマの有無にかかわらず道路を渡らない人がほとんどです。ブロガーの紙屋高雪氏は、内閣府の国際比較データを引き合いに、日本では皆が信号を守っているのに、日本の方がフランスよりも2倍(人口比を考慮)も歩行中の事故死が多いのはなぜだろうかと疑問を呈しています

 日本では高齢者の事故が多いことが事故率を高めている要因らしいとのことですが、それはともかく、日本人は定められた法律は理由の如何に関わらず守らなければいけないと考えているようです。

 確かに法は守らなければいけないものですが、すべての状況においてそうなのかということについては、様々な解釈があります。

 制定された法律は、どのようなものであっても守らなければいけないという考え方を「形式的法治主義」と呼びますが、これに対して現代の民主国家では「法の支配」という概念が一般的です。これは民主国家として本質的に正しい「法」というものがあり、本質的に正しい法に反している法律はたとえ議会が成立させたものであっても無効とする考え方です。

 もっとも分かりやすい例が、ナチスドイツの全権委任法でしょう。確かに全権委任法はドイツの議会で賛成多数で可決成立したものですが、独裁者を容認するという法律は民主主義の根本的な理念に反しています。したがってこの法律は本質的に無効とみなされます。

 また米国や英国など英米法圏(日本も一応、憲法は英米法になる)の国では、法律上はっきりしないことや、法律が想定しない事柄については、まずやってみて、状況を見てから明確に法律で定めればよいという概念が浸透しています。米国でベンチャー企業が活発な理由のひとつには、こうした柔軟な法体系があるともいわれています。

 ひるがえって道交法というものを考えてみると、これは、人の行動を束縛するために存在しているのではなく、あくまで事故をなくすためのものといえます。確かにフランス人は、状況によっては信号をまったく守らないようですが、必ずしも法をないがしろにしているとは言えないことになります。

 もちろん法は守らなければいけないものですが、なぜ法というものが存在し、なぜ国民は法を守らなければいけないのか、あらためて考え直してみるのもよいかもしれません。

(The Capital Tribune Japan)