1990年代初頭、まだバブル景気の余韻に浸っていた日本は、その急激な崩壊により長期の大不況時代へと陥った。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の栄光は過去のものとなった。地価と株価は暴落し、信用不安から金融機関は混乱を来し、貸し渋りや貸し剥がしも横行した。

 そうした時代にあって、エネルギーを取り巻く環境も変化の波にさらされた。高度経済成長に見られたような、需要増に応える政策と異なり、消費に歯止めをかける方向、すなわち省エネ、効率化が推し進められた。

 日本が足踏みしている間に、中国をはじめとする新興国の成長が目立った。2000年代には新興国の旺盛なエネルギー需要をめぐり、資源の争奪戦も起きた。石油をはじめとする資源価格が高騰し、資源ナショナリズムやエネルギー安全保障という言葉が多用されるようになった。

 依然エネルギーの海外依存が課題の日本は、世界に誇る省エネ技術や原発のインフラ輸出を掲げ、官民を挙げて資源獲得に挑んだ。そうした折に起きた2011年3月11日の東日本大震災。津波による福島第1原発事故で情勢は一変した ── 。

 まずは、1990年〜2000年代の、おおよそのエネルギー情勢、政策の流れを見ていきたい。

【連載】エネルギー小国日本の選択

バブル崩壊

バブルの象徴だった東京・芝浦のディスコ「ジュリアナ東京」で踊る若者たち(撮影:1992年3月、Fujifotos/アフロ)

 1989年末に過去最高を更新した日経平均株価は、翌1990年には半値近くまで急落した。「土地転がし」により高騰していた地価も、1990年3月の大蔵省通達「土地関連融資の抑制について」などに伴い、暴落。土地への投機的な資金の流入は止まっていく。

 大阪の証券街・北浜で働く名うての証券マンは「かつて『4万円までいきまっせー』言うてた時代もあったなあ」と当時を振り返る。

 1989年は企業がお金を持て余していることをうかがわせる買収劇もあった。9月にソニーがハリウッドの映画会社、コロンビア・ピクチャーを、10月には三菱地所がロックフェラーセンタービルをそれぞれ買収。いずれも数千億円もの巨額で、当時「ジャパン・マネーが席巻」とか「買いあさり」と批判めいて報じられた。

 その後、程なくして日本は大不況に陥った。多くの企業や個人は保有資産の評価損などに苦しんだ。そのベテラン証券マンは「株の世界に"たられば"はないけど、なんでもっと早く気付けなかったんだろう」と嘆いた。

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