日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。

 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。

 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。


【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第4回

シュドルをかけられたラクダたち、本来なら彼らには何の罪もなく、ただただ、美味しい草や枝を求め、自由に草原を動きたかっただけである。=シリンゴル盟・シローンフブートチャガン・ホショー(2011年7月撮影)

 1980年代から、内モンゴルでは土地改革が行われ、牧草地が各家庭に分配された。しかしこれが、それまで続いてきた遊牧文化の衰退、地域コミュニティの崩壊、砂漠化など多くの問題の種になった。

 土地改革により、それまで共同で使用してきた牧草地が、各家庭に分配され、それぞれが自由に使うようになった。

 だが、この分配は平等ではなかった。お金がある人や権力がある人は、広い土地を鉄条網で囲み始めた。早い者勝ちだった。弱いものも黙っていられないと、借金もしながら、わずかな土地も残さず、鉄条網で囲んでいった。

 その鉄条網が作られたはじめのころは、家畜たちはその内側でおとなしくしていた。しかし、風に漂ってくる美味しい草の誘いに我慢できず、隣の鉄条網を越え、草を喰む方法を次第に身につけていった。

 ラクダたちが、いつも隣の鉄条網を乗り越えていくので、その持ち主から文句を言われた。義兄たちはしかたなく、その“主犯”たちの足を、手錠のようにシュドルでしばることにした。シュドルというのは牛革の紐で作った足かせで、馬に用いるものだ。普通は、馬の前足2本と後足1本をしばる。そうすると遠くへ行けないし、高く飛べない。

 それでもあまり効果は出ていないようである。毎日のように義兄には近隣の人から電話があり、ラクダや馬が自分たちの鉄条網入ったので、早く出して、といわれていた。

 私と妻は、ラクダたちが他人の鉄条網に入っていないことを確認し、家に戻ることにした。真南に家が見えるので、直線で帰ろうとした。だが、400メートルぐらい歩くと、鉄条網にぶつかった。そこに一本の柱があり、4方向に鉄条網が引かれていた。つまり4家族の鉄条網が、ここでぶつかっているのだ。

 一つの鉄条網をくぐって、別の鉄条網の中に入って行く。草原は、無残に分断されていた。(つづく)

※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮るーアラタンホヤガ第4回」の一部を抜粋しました。

内モンゴル自治区の地図


アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA)
1977年 内モンゴル生まれ
2001年 来日
2013年 日本写真芸術専門学校卒業
国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。
主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。