日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。

 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。

 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。


【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第4回

川までが鉄条網に横断されているのが現状だ=シリンゴル盟・シローンフフ・ホショー(2011年8月撮影)

 1980年代から、内モンゴルでは土地改革が行われ、牧草地が各家庭に分配された。しかしこれが、それまで続いてきた遊牧文化の衰退、地域コミュニティの崩壊、砂漠化など多くの問題の種になった。

 土地改革により、それまで共同で使用してきた牧草地が、各家庭に分配され、それぞれが自由に使うようになった。

 だが、この分配は平等ではなかった。お金がある人や権力がある人は、広い土地を鉄条網で囲み始めた。早い者勝ちだった。弱いものも黙っていられないと、借金もしながら、わずかな土地も残さず、鉄条網で囲んでいった。

 単に牧草地の分断だけではなく、この地方では大きな問題が起きていた。墓地の問題である。

 モンゴルでは風葬、土葬、火葬が一般的である。最近、風葬はほとんど見られなくなってきた。

 土葬の場合は、農耕民族の墓のようにマウンドを作ることがないため、2、3年後には墓があったことすら分からないくらい、掘られた場所はもとの大地に戻っている。しかし、一族の墓の位置は決まっていて、その場所はノトグと呼ばれ、代々伝えられてきた。ノトグはふるさとを意味する。

 ところが牧草地の分配は、ノトグのことを考慮せず、多くの場合、直線に鉄条網を引いている。そのため、自分たちのノトグが、他人の鉄条網に囲まれることは珍しくなかった。

 そこで、鉄条網を引いた人に頼むことで、なんとかその場所に墓をもつことができていた。しかし、最近は牧草地の持ち主に拒否されて、しかたなく、自分たちの鉄条網の中で、新しい墓地を選定することもあるようになった。(つづく)

※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮るーアラタンホヤガ第4回」の一部を抜粋しました。

内モンゴル自治区の地図


アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA)
1977年 内モンゴル生まれ
2001年 来日
2013年 日本写真芸術専門学校卒業
国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。
主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。

この記事が気に入ったら「いいね!」をお願いします